市場の論理とブラックスワン

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GE帝国の衰退史
新聞の書評で興味を覚えて手に取ってみた。

明王トーマス・エジソンを祖とするGEグループは
20世紀を通じて全米を代表する企業だった。
しかし2001年グループ全体を統括するCEOがジャック・ウェルチから
ジェフリー・イメルトに替わり潮目が変わり
2017年、ジョン・フラナリーがイメルトの後継者につくと
GEの凋落は誰の目にも明らかになった。
ピーク時の2004年の企業全体の資産価値総額は3800億$以上で
日本円にして41兆円を超える超優良企業であったGEは
2018年には1000億$を割るほど落ち込んでいる。

トップであったイメルトが無策無能だったというわけでなく
その時々で最善ともいえる方策を探っていたが
電機、航空エンジン、エネルギー、金融と様々な業種を呑み込み、
成長を続けてきたからゆえに袋の小路に追い込まれたと形容できると思う.
ウェルチの時代から澱のようにたまっていた負の遺産
あまりにも巨大すぎたといえる。


「世の中にいる成功者はたまたま運がよかっただけに過ぎない」とは
市場におけるブラック・スワンの到来を預言した
ナシム・ニコラス・タレブの言葉だが
ウェルチ時代のGEが成長できたのは、
追い風が吹いていたにすぎないという解釈も
そんな外れてはいないかもしれない。

また「市場の論理、統治の論理」でジエイン・ジイコブズは
市場が"正直であれ"といった倫理で支配されているのに
官公庁や独占企業は"名誉を貴ぶ"という論理に支配されていることを
指摘しているが、企業が事業を拡大し、成長すればするほど
内部の論理は官僚の論理が幅を利かせるようになる。
そうして企業内部の論理が市場の論理と大きく乖離し
それが露わとなるとき、崩壊が一気に進む。
官僚化ないしは巨大化した組織は柔軟性を失って崩壊するのは
洋の東西を問わない普遍性だと個人的に思う

失敗の科学

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元英国卓球五輪代表選手にしてジャーナリストの
マシュー・サイドが失敗をテーマに
医療、航空、司法のスタンスについて
まとめたルポルタージュ的な一冊

米国では1日1万件近く発生している医療事故により
年間4万人前後の患者が亡くなっている。
事故を分析して、その教訓を生かすことができれば
多くの命が守れるにもかかわらず
医療の現場は「不幸な事故」「最善を尽くした」という言葉で
真実を隠蔽する。
現場で伝えられている処世術に従っているといえば
それまでだが失われるものの大きさを思えば、
それで是とし続けることに疑問がわいてくる。


医療現場が言い訳の文化に染まり、失敗を隠蔽するならば
司法の現場も裁判官、検事の無謬性が尊重され、
多くの失敗が埋められたままの状態が続いている。
DNA検査が導入され多くの事件で証拠が覆されているにも関わらず
それを改めることはおろか、認めることすら憚られている現状に
思わず身構えてしまう。


失敗を頑迷に認めず、あるいは臆病なまでに責任回避に至るのは
人間の本質に基づいた行動であり
必ずしも現場で働く個人の咎とは言い切れないものの
脳科学進化心理学などが人間の行動を解析しつつあるいま
旧態依然の姿勢を続けるのならば、近いうちに
批判や議論の的となることだろぅ。


一端事故が発生すれば、大惨事となる航空機だが
2010年代の航空事故による死者は全世界の航空機会社の統計を合計しても
百人単位であり、事故を起こす確率は何百万分の一となっている。
自動車と違い、その場に待機することができない上に
気象の影響をダイレクトにうける航空機は
ことのほか安全なのである。
それは、航空業界が多くの事故や事故一歩手前の経験から学び
問題を発見しては迅速に修正する文化を作り上げてきたからに他ならない。
特に1978年のユナイテッド航空173便の
燃料切れによる墜落事故による反省として
ヒューマンファクターに注目してクルー・リソース・マネジメントを
各航空会社に展開した対処は見事の一言に尽きる。

明王エジソンは、
「失敗などしていない、1万とおりのうまくいかない方法を見つけただけだ」
という言葉を残しているが、
失敗を成長の糧ととらえるか、否かの積み重ねは
人が思うよりも大きな違いを生む。

マネー・ボール

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日本では2004年に翻訳出版された本で
ややとうがたった本である。

オークランド・アスレチックスGM
ビリー・ビーンが、無名の選手を調達する様を記した本だが
彼の活躍は伝説と形容してもいい類のものである。

高校時代強打者として名を馳せたビーン
NYメッツから1980年のドラフト1巡目で指名を受ける。
スタンフォード大学からも勧誘を受けており
野球選手以外の道も選択することが可能であったが
契約金12万5千ドル(現在の約40万ドル相当)を手にして
入団を決意する。
恋人とも結婚し、メジャーリーグで華々しい活躍を
本人も周囲も期待していたが、
1軍に定着することもままならず
1989年シーズンをもって引退する。


現役生活を終えた彼は、最後の球団となったアスレチックスで
スカウトして再出発し、当時GMだったサンディ・アンダーソンから
野球マニアのビル・ジェームスが自費出版した冊子の存在を教えられる。

そして数年後、オーナーが変わり
資金繰りが渋くなった球団のGMに就任したビーン
ビル・ジェームズの冊子、一風変わったデータ分析をもとに
チームの再建に乗り出す。
その方針は、コストパフォーマンスの良い選手を集めて
得点の確率が高い戦術を徹底するものだった。
打者は初球を振るな、可能な限り四球を選べ
バントと盗塁は不要という方針を徹底するために
監督(フィールド・マネジャー)の作戦にも
罵声とともに口を出した。

当時、金満球団NYヤンキースの三分の一とか、四分の一の
予算しか組めなかった貧乏球団は
他球団でくすぶっている選手をトレードなどで安く買いたたき
活躍して年俸が高騰したら高く売りさばいて、
その資金でまた新しい選手を発掘するという自転車操業に近いやり方で
毎年地区優勝を争うだけでなく
2001年、2002年シーズンに100勝以上を達成するなど
驚異的な勝率てメジャーリーグを翻弄する。

ビーンの人集めはデータに基づいているだけであり
それ自体は秘密でもなんでもないのだが
その道の達人の経験則やセオリーと合致しないデータを
無条件に受け入れることかできる人間がどれほどいるのだろうか。
また手法が正しくても
世界にはびこる確執と軋轢と格闘して勝利することは
容易なことではない。

しかし、ビーンはそれを実行したのである。


ビリー・ビーンがアスレチックスいなければ
イチローのいたシアトル・マリナーズ
何度かポスト・シーズンに進出できた筈だ。

以上、にわかデータサイエンティストの独り言である。

フットボールと戦争と国家斉唱

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ホイットニー、世紀の絶唱「国歌斉唱」秘話 | ホイットニー 3D

Oh, say, did she sing

ホイットニー・ヒューストンは第15回スーパーボウルアメリカ国歌「星条旗よ永遠なれ (The Star Spangled Banner)」をどう歌うか即座に思い付いた。ジャズのコードとソウルフルなゴスペルのリズムを生かすのだ。

長年彼女の音楽監督を務めるリッキー・マイナーは、3拍子という本来のこの曲のフォーマットから一歩抜け出し、4拍子に変える事でホイットニーの肺活量を存分に生かせるのでは、との提案をした。

彼女がその歌唱で人々を驚愕させるとは、この過程で一体誰が知っていただろう?

「彼女の歌には感動して涙が出たよ」その当時ビルズのスペシャル・スターのメンバーだったスティーブ・タスカーは言う。目が(涙で)濡れていないやつなんて周りには誰もいなかったな」

「あの当時、この国は国民を一つにすることのできる何かを求めていた。彼女の国歌斉唱はその瞬間だったのさ。あれは本当にアメリカに衝撃を与えたよ。」とタスカーは付け加えた。

(中略)

The general’s perspective

その頃ペルシア湾に指令官として赴いていたシュワルコフ将校は、アメリカの国民的イベント、第15回スーパーボールのことが気になっていた。だが、サウジ・アラビアには中継がなく、リアルタイムで見る事は出来なかった。

10日後、彼のもとに一本のヴィデオテープが届いた。そしてホイットニーの国歌斉唱を見た時、彼の目から涙がこぼれ落ちた。

「本当に、本当に深く、感動したんだ。」と彼は言った。

出典:
Blessings of liberty secured for Super Bowl XXV
By Jill Lieber, USA TODAY

イラククウェート侵攻に伴って
発生した湾岸戦争
そのさなかに迎えたスーパーボウル
ホイットニーが歌い上げた国歌は
沙漠の戦場戦う兵士と彼らの帰りをまつ家族の心に強く響きわたった。
米国人だけでなく、多くの国の人間が
体が打ち震えるような感動を覚えた。


ホイットニーが映画になって
昨年末から公開されていたことに今日気づいた。
映画そのものについてさほど興味はないが
映画の宣伝用にピックアップされたこのシーンだが
その歌声を何度聞き直しても鳥肌が立つほど
心が揺さぶられる。
あれから30年以上の時間がたっているというのに、である。


正義の戦争というものが存在するか否か
現代において意見の分かれるところだが
彼女の歌声は
破邪顕正の剣が米国に授けられているのだと
考えても何の不思議もないくらいの力があったと思う。

松本隆と大滝詠一

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産経新聞に連載中の話の肖像画松本隆」で
大滝詠一の名曲「君は天然色」の誕生のいわれを知った。

曲作成の直前で妹を亡くした松本のために
大滝はアルバムの発売を延期してまで
制作を遅らせた。
そして、盟友ともいえる松本が
ようやくかき起こした詞に
ポップなメロディーと軽妙な声を加えた曲は
時代を超えたミリオンセラーとなり、
未だに売れ続ける曲となっているのだが
その曲の詞は、松本が妹をモチーフに書いたものだったという。

松本は、その事実を明かさないままに
大滝に旅立たれたことを
少し後悔しているような感想をもらしているが
事実を伏せて大滝に歌を委ねたからこそ
この名曲となりえたのかも知れない。

歌い手が自分で曲を書き、オンラインにアップする時代になり
作詞家、作曲家、歌い手、プロデューサーの個性がぶつかり合い、
予期せぬ化学反応を起こすような曲がでることは
ほとんどない。
だからこそ、彼らの起こした奇跡ともいえる出逢いに
導かれた昭和の歌に
惹かれ続けるのだろう。

今思えば、昭和という時代は
暑苦しく鬱陶しく不自由なものだった。
だが、今となってはその暑苦しさが愛おしい。
たかが歌、されど歌である。

以上、昭和生まれの独り言である。

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戦争とカーンと140km

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メーメット・ショル(元バイエルン・ミュンヘン
「この世で怖いものは戦争とオリバー・カーン

欧州で戦争がリアルとなった本年、
シャレになっていないセリフだが、
オリバー・カーンのサッカーに対する姿勢を
これほどよく表現した言葉はないと思う。

昨日、11/29の産経新聞に別府育郎氏のコラムが掲載されていた。
記事は、先日なくなったプロ野球選手・村田兆治氏が手掛けた企画
離島甲子園について触れていた。
村田氏は生前地域的なハンディを抱える離島の野球を
盛り上げようと離島に所在する中学生の野球大会を
企画し、主催していた。
村田氏は大会に参加した球児から
甲子園出場者とプロ野球選手の誕生を夢見ていたとのことだった。
今春、選抜出場を果たした奄美大島大島高校の選手が
ドラフト会議で指名された。
奇しくも村田氏が死んだ本年に念願が
かなった悲しい事実も記されていた。

本年夏ごろにマスコミをにぎわせたこともあったが
それをもって彼の不器用にまっすぐ生き方の全てを
否定するのは間違っていると思う。

なお記事には、日韓サッカーワールドカップで活躍した
ゴリラにも似た強面のGKオリバー・カーン
参加したチャリティーの顛末にも触れており、
その内容に笑ってしまった。

サッカーの日本代表はW杯初戦で、優勝4度のドイツを相手に逆転勝利を収めた。ゼップ・マイヤーオリバー・カーンといった名守護神の系譜を継ぐ当代一のGK、マヌエル・ノイアーから奪った2得点は世界を驚かせた。

そのカーンには、こんな伝説がある。チャリティーイベントに呼ばれ、子供相手のPK戦で全てのシュートを止めてしまった。泣く子供らを前に彼は「相手が誰であれ私のゴールは許さない」と言い放ったらしい。

同僚が以前、離島で野球教室を開く村田に同行した。50歳を過ぎても140キロの速球で子供らに1球もかすらせず「本物を知ってもらうため」と話したのだという。

いずれも、プロの矜持(きょうじ)の武骨(ぶこつ)な発露といえた。

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戦う男でありたい

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12月15日(水)『ファイト』

個人的に日本の詩人の中で最も尊敬してるのは中島みゆきさんですが、彼女の歌に

「戦う君の歌を戦わない奴らが笑うだろう、ファイトッ」

という一節があり、これほどの美しく残酷に人間の本質を突いた日本語は他に無いだろうと常に思ってます。
人は安全で安定した場所から出て行く人間を、現在を変えて新しい世界を目指す人間を、自らの平安を破るものとして嘲笑し侮蔑します。怖いからです。羨ましいからです。
そして挑戦者の成功に対し、称賛よりも嫉妬、さらに中傷が続き、結局、苦労して得るものは自己満足と言うのが人間社会の特徴の一つです。
例外的にアメリカはこの傾向が僅かに、ほんの僅かに、他の文化圏より薄く、このほんの僅かな差があの国を世界最強の座に付けていると私は思ってます。

そして、どんなに苦労しても得られるのは自己満足だけなのに、全てを敵に回してまで一人で戦い続けたのが本田宗一郎総司令官だったと私は思っています。
人のマネを嫌い、楽な道でも嫌い、あくまで己の道を突き進んだ人でした。当然、その歩んだ道は間違いと失敗だらけなのですが、僅かないくつかの成功が桁違いに眩しいものでした。
その本田宗一郎率いるホンダが、誰に頼まれたわけでも無く何の必要も無かったのに、俺たちが世界一のクルマ屋なのだ、と証明するためだけに1964年からF-1に参戦します。
当然、死闘と言っていい戦いになりました。

(中略)

2020年はコロナ騒動もあって予想外の苦戦となりましたが、それでも確実に結果を出しつつありました。
その中で、突然、ホンダの社長がF-1からの撤退を宣言します。会社は利益を出すための集団であり、その決断は致し方ないところですが、その宣言文の内容が完膚なきまでに負け犬の泣き言で、こっちが泣きたくなりました。
ホンダはやはり死んでいました。もうダメでしょう。上が最悪の負け犬根性で現場は戦えるのかと悲しくなりました。

だが戦ったのです。そして勝ったのです。
コンストラクターチャンピオンは逃しましたが、本田宗一郎総司令官が地球上から消えてから初めて、ホンダはドライバーズチャンピオンを獲りました。
組織のトップが戦う誰かを笑う人間なのに、それでも戦い、勝ちました。ファイト。
個人的に調べた範囲内に置いてですが、人類がオギャーと生まれてから、トップが腐った組織が勝った例を一つも知りませぬ。そんなものは無いと思っていました。
間違っていました。戦うあなた達は勝ったのです。ファイト。本当に素晴らしいものを見せていただきました。心よりお礼を申し上げます。

そしてその美しい戦いは、モータースポーツ史上まれに見る激戦として記録される事になりました。メルセデスのハミルトンとレッドブルホンダのフェルスタッペンの死闘は十年を超えて百年残る戦いでした。
それに相応しいホンダの現場の皆さんの戦いだったと思います。ファイト。私は死ぬまで戦う人を笑わない奴でいたいと思います。ありがとうございました。


直木賞ウィナーにして下妻南星高校の大先輩・海老沢泰久氏の
ホンダFI挑戦の第一期と第二期の奮闘を描いた「FI 地上の夢」の帯には
"ホンダには夢に取りつかれた男たちが集まっていた"と書かれていたと記憶している。

昨年F1王者に返り咲いたことに最大限の賛辞を惜しまない夕撃旅団氏は
ホンダの社員ではないがだれよりもホンダの夢に
取りつかれた人物ではないかと思う。

彼の文章に触発れされて何年かぶりにファイトを聴いた。
ただ一つ思うことは
戦う人間でありたい、ということである。