原田と加藤

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負けた悔しさよりも、「すごいヤツと戦えた」という満足を、原田は感じていたのだ。もはやライバル関係とは言いがたい、尊敬に近い思い。それは原田自身が、一番近いところで加藤の才能に触れていたからだ。<<"

1993年WGP250ccクラスで
日本人二人目となるワールドチャンピオンに
輝いた原田哲也

ピアッジやカピロッシと激しいバトルを繰り広げ、
毎年チャンピオンシップ・ポイントを争っていた彼に
2001年、最大のライバルとして立ち塞がったのが
故・加藤大治郎だった。


1995年、アプリリアのピアッジに勝てない原田は
「ピアッジに勝てないのではない、アプリリアに勝てないのだ」
と嘯く。
当時、予選では500ccクラスでも上位に匹敵するタイムを
刻んだことがある彼の台詞を否定する者はいなかった。
だが、その彼をしても加藤大治郎は異次元だったと
認めざる得なかった加藤大治郎の偉大さと
モータースポーツ界が失ったものの大きさを
今更ながらにして深く思い知る。


サーキットから彼らの勇姿が消えて10年以上の時間が
経過した。
それでも、彼らの記事が世に現れてくることを
嬉しく思う反面、
彼らを越える日本人GPライダーが現れないことに
一抹の寂しさを思える。

マンガで分かる心療内科


原作者は現役の医師。
コミカルだけど
非常に興味深い内容で
病気を偏見なくお手軽に学ぶ教材としては
最適かもしれない。


学習障害とかADHDとか知ったのは
20年くらい前だろうか。
ネットで交流があった方のHPの
子育ての記事を読んで
様々な葛藤や苦労がしのばれた。


人間の心はなんと複雑で繊細なのだろうか
きめ細かい研究が進んでいるのは
平和な時代だからゆえかもしれない。
甘えや言い訳と切り捨てられていた
影の存在にいまさらながら気付く。

ボヘミアンラプソディーと乙女戦争

【モンテーニュとの対話 「随想録」を読みながら】〈41〉ボヘミアン・ラプソディ - 産経ニュース

ルビコンを渡った少年
 直感的にひとつの解釈が可能になる気がした。少年はフレディ自身であり、少年が撃ち殺した男とはフレディの中の異性愛者なのではないか。同性愛者として生きるには異性愛者を殺すしかない。新たな人生は「殺人」によってしか始まらない。なんという皮肉。ルビコンを渡ってしまった少年にとって、もっとも気がかりなのは、自分を産み育ててくれた母だ。


 少年は道化に活気あるダンス、ファンダンゴを踊ってくれるように頼む。なぜファンダンゴなのか。それは「ファンダンゴ=ゲイ」だからだろう。「ゲイ」の原意は「活気ある」である。さらに、裁きの場で少年を断罪しようとする声が「アラーの名において」であるのも納得がゆく。イスラム社会の多くでは、現在も同性愛は犯罪とされている。


 イングランドウェールズにしても、21歳以上の男性同士の同性愛行為が合法化されたのは67年、たかだか半世紀前のことだ。スコットランドでは80年、北アイルランドでは82年になるまで同性愛は違法だった。オスカー・ワイルドを思い出す。1895年、41歳のワイルドは15歳下の男性と性的関係をもった罪で投獄され、作家生命を絶たれた。


 余談になるが、ワイルドは唯一の長編小説『ドリアン・グレイの肖像』で、悪徳によって破滅に突き進む美青年のドリアンに次のような独白をさせている。冒頭の「バジル」とはドリアンの肖像を描いた友人だ。
 《バジルの愛は、感覚から生れ、感覚が疲れれば死滅してしまう単に肉体的な美の称讃ではない。ミケランジェロモンテーニュやヴィンケルマン、さてはシェイクスピアそのひとが知っていたような愛なのだ》


 ワイルドの見立てでは、歴史に名を残す4人も同性愛者なのだ。
 同性愛が犯罪でなくなったにしても、「ボヘミアン・ラプソディ」が発表された75年当時、フレディにとって、保守的な英国社会は煉獄のように感じられたのではないか。ちなみにゲイ市場を標的にした米国の6人組、ヴィレッジ・ピープルの「Y.M.C.A.」がヒットしたのは78年だった。
 もちろん「同性愛者」という視点だけで「ボヘミアン・ラプソディ」を理解したつもりになるのは、フレディと作品への冒涜(ぼうとく)であろう。フレディが抱える異民族、異教徒、移民という、いまなお紛争の火種となっている属性を含めて理解すべきだと考えるものの、それは私の手に余る。


 91年11月24日、フレディは息を引き取る。彼はその前にエイズに侵されていたことを公表、「ボヘミアン・ラプソディ」の印税を英国のエイズ基金に寄付するよう遺言した。
 映画「ボヘミアン・ラプソディ」は、そんなフレディの複雑な内面を通して表現される、美しくも力強い音楽で、寛容さを失い退行しつつある世界と人々に激しく揺さぶりをかける。その意味でもRock(激しく揺さぶる)な作品だ。

旅ペディア【ボヘミアン、ジプシー、ヒッピーの違い】

ボヘミアン(ボヘミアニズム)は、元々19世紀フランスで勘違いによって生まれた言葉。ロマ人(ジプシー)がチェコボヘミアからやってきたと誤認されたために、軽蔑語としてボヘミアンが使われ始めた。

その後、フランスで貧しい芸術家、作家、ジャーナリスト、ミュージシャン、俳優などが家賃の低いロマーニ地区に集中し始め、ボヘミアン主義という形で広がっていくものの言葉は二つの意味を持つようになる。

良き意味は『質素に暮らし、誰の手ほどきも受けない』
逆の意味は『ドラッグに溺れ、セックスにみだら』

「乙女戦争 ディーヴチー・ヴァールカ」で
最近知ったことだが
中世の東欧にあったボヘミア王国が、
キリスト教を信仰しながら、ローマ教会に
異を唱えために異端と認定され
十字軍まで派遣されていた。


こうした歴史的な背景が影響しているのか
しらないが、
ボヘミアンという言葉には
どこか世間と隔絶した、あるいは、
背徳の後ろめたさを感じることがある。


それでもボヘミアンを芸術的、あるいは
放浪者として肯定的に捉えてしまう。
異端に対する厳しさをしらないが故の
蒙昧さといえば、それまでであるが。


フレディが生きていた頃より
価値観は多様化し、
AIDSも不治の病から遠去かりつつある。
マイノリティの主張は
声高に叫ばれるようになった。
ヒステリックな音は
世の中に溢れるようになったが、
心の底から人を奮い立たせる歌は
どれほど生まれただろうか。


差別や偏見は、排除されて然るべきだが
劣等感やヒエラルキー
社会を揺り動かす力の源となるのだとしたら、
現代社会は、芸術家にとって
力を得難い時代なのかも知れない。


さて、フレディ・マーキュリーの映画と
クイーンの往年のナンバーが
今でも支持されているのは
あの時代の見えない何かに
彼らが挑んでいたからであり、
その生き方が小気味いいからだと思う。
多少、美化しすぎてるきらいはあるが。


ど根性ガエルの娘

ど根性ガエルの娘 4 (ヤングアニマルコミックス)ど根性ガエルの娘 3 (ヤングアニマルコミックス)

四十年以上前、漫画「ど根性ガエル」を
全国的にヒットさせ
一世を風靡した吉沢やすみ
連載を13本かかえる人気絶頂のさなか
失踪する。
行方不明となった彼には、家族があり、娘がいた。


スマートフォンのアプリ「漫画Park」で連載中の
吉沢やすみの娘・大月祐子が書いた父と家族の記録。
ももせたまみを連想するような
ほのぼのしたかわいい表紙の絵柄から
想像もつかない壮絶な娘の記録。


ほぼ1話ごとに、時間軸が現時点にもどるため、
ある種の安心感をもって読める筈なのだが
彼女が描く父と本人の出来事は、
落ち着くいとまがないほど
衝撃的な告白の連続であり、
ホラーと思うほど凄惨である。
30年ほど前によんだV.C.アンドリュースの小説を
彷彿とさせる内容であり、
戦慄が走った。


角川から発売した第一巻の売り上げが芳しくなく、
掲載誌のあてもないまま
原稿を引き上げても紡ごうとしたこの物語に
作者は何を伝えようとしているのか。
作者の青春を踏みにじった父母への恨みか
それとも愛か、
いまだそれを見極めることができない。




屋根裏部屋の花たち (扶桑社ミステリー)

屋根裏部屋の花たち (扶桑社ミステリー)

脚気と軍隊


脚気と軍隊
日本の軍隊が戦闘での負傷以上に
脚気に苦しめられていた日清、日露戦争の頃の
陸、海軍の対応について
当時の医学レベルを考慮しながら
史実をまとめたノン・フィクション。


後に麦飯男爵と呼ばれた高木兼寛
炭水化物と窒素の含有、脂肪等の
栄養のバランスが崩れることで
脚気に懸かると仮説に基づき、
パンや麦飯を支給して脚気の撲滅に
ほぼ成功した海軍に対して
麦飯が脚気に効くのは迷信に過ぎないと
頑迷に白米にこだわり
日露戦争時、大量の脚気患者と死亡者を
だした陸軍のいきさつについては、
軍の外にも知られており、
これまでに
吉村昭が「白い航跡」として小説として描いた他
宮代忠道が「麦飯男爵・高木兼寛」としてコミカライズしている。


脚気の軍隊」は
日清戦争後、麦飯に切り替え脚気の退治に
ほぼ成功しながら、兵站上の煩雑さを理由として
戦時に白米を支給し、大量の脚気患者を出したのは
森林太郎森鴎外)の失敗としてながらも
その失敗は、彼より、
彼の上司であった陸軍軍医総監石黒忠恵の
影響が大きかったと
森にやや同情的な立場で筆を進めている。


当時、ビタミンの存在が知られておらず
また、ドイツ的に経験則だけに依らずに
病理を解明することが
重要との立場に立てば、石黒や森のとった行動も
致し方ない面もあったとしている。
また、実際の貧弱や兵站(補給)事情や
現場の指揮官として麦飯より、
高価な白米を食べさせて
戦わせたかった指揮官の心情をあげて
後出しジャンケン的に、森を批判することに
疑問を投げかけている。


統計学的に麦飯に効果あるとする海軍の主張にも
矛盾や混乱があり、森の言い分に理が無いわけでないが
一度は麦飯によって脚気の駆除に成功している以上
煩雑になろうとも戦時において
速やかに麦の支給を整えるのが
彼らの職責だったはずだと個人的に思う。
当時の統計学が現在のものとは
比較にならない杜撰なものであったにせよ
再試や追試の検証なしの理論だけで
麦飯の効用を認めず、脚気流行の兆しに対して
現状維持でよしとする消極的態度は
怠慢や頑迷の誹りを受けても当然だと思う。


人工知能よりこの方、
技術よりデータが資源として重要と
考えられつつある最近
統計学が未成熟だった当時を
眺めることができる社会の進歩を俯瞰しつつ
人間はどれだけ賢くなったのだうかと
ひとりごちる。









新装版 白い航跡(上) (講談社文庫)

新装版 白い航跡(上) (講談社文庫)

W杯という大河


【スポーツ茶論】ザックとチーズとわさび 別府育郎 - 産経ニュース


【スポーツ茶論】ザックとチーズとわさび 別府育郎


2014.7.15 07:47



 サントリーの山崎蒸留所に、チーフブレンダーの輿水精一さんを訪ねたことがある。数十種類の個性豊かな原酒を組み合わせて目指すウイスキーを仕上げる。

 「優等生ばかりでは無難にまとまって味に幅や奥行きがでません。それより、やんちゃな個性をどう生かすか。人間の集団や組織とも似ています」

 熟練の記憶から個性を響き合わせても、予想は裏切られることがある。ほんの一滴垂らした原酒が、思いもよらない味と香りを生むこともある。最初から正解があるわけではない。



前回覇者のスペインも、優勝4度のイタリアも、サッカーの母国イングランドも、決勝トーナメントに進むことができなかった。それがW杯だが、勝敗だけがすべてではない。

 早々に大会を去った敗者の中にも強烈な印象を残した勇者はいる。例えばドイツ戦のガーナ、オランダ戦のオーストラリアであり、アルゼンチンを苦しめ抜いたイランがそうだった。

 日本は、勝者にも勇者にもなれなかった。それが一番悔しいのは、個々の選手と、監督本人だろう。

 W杯は失敗したが、彼の退任を悲しみ、多くの選手が涙を隠さなかった。別れを告げる昼食時に、ザッケローニは「もう一度W杯を戦えるなら選手もスタッフも同じ選択をする」と話したのだという。その時は監督も選手も、もっとうまくやるだろう。ただそんな大会はやってこない。



【日曜に書く】W杯という大河を楽しむ 論説委員・別府育郎 - 産経ニュース




W杯という大河を楽しむ 論説委員・別府育郎

2018.7.15 08:30



例えばドラマの始まりを、2010年南アフリカ大会を「チキタカ」と呼ばれる魅惑のパス回しで制したスペインの優勝にあったと仮定する。大会後、世界の潮流は、これを追うか、倒すかに大きく分かれた。

 4年後のブラジル大会で伝統の4-3-3のシステムをかなぐり捨て、5バックの堅守速攻でスペインを5-1で粉砕したオランダがその典型だろう。守りに人数をかけて攻撃は縦に速くの一辺倒。その流れは今大会でさらに顕著となり、1次リーグから強豪国を苦しめた。ただし目先の勝利を追い求めた罰でも受けたか、オランダは今大会、出場さえ逃している。

 ブラジル大会を制したのはドイツだった。国内最強のバイエルン・ミュンヘンバルセロナから名将グアルディオラを監督に招いて戦術を一変させ、バイエルンの選手が大半を占める代表チームは他を寄せ付けなかった。規律に厳しく、体格に優れたドイツがスペインの戦術を取り入れ、無敵のチームができあがったようにみえた。だが今大会ではメキシコと韓国の徹底した堅守を攻めあぐね、1次リーグで大会を去った。

日本代表

 かのドイツにして盛者必衰の理(ことわり)からは逃れられないらしい。

 そして「チキタカ」を目指した国に、ザッケローニが率いた日本がある。パスサッカーで世界と戦えると指揮官に褒められて「俺たちのサッカーでW杯優勝を目指す」と豪語した選手らは、ブラジル大会で1勝もできなかった。チームを去るザッケローニは「もう一度W杯を戦えるなら選手も戦術も同じ選択をする」と話したのだという。

 当時のコラムに「その時は、もっとうまくやるだろう。ただそんな大会はやってこない」と書いた。不明を恥じる。

 意気消沈の選手らは八百長疑惑のアギーレを経て代表監督にハリルホジッチを迎えた。「デュエル(戦え)。縦に速く」の指示は多数派の潮流に沿うものだったが、ベテラン選手の不満が募り、電撃解任に至った。

 後を託された西野朗は短い試行錯誤の末、システムをザッケローニ時代の4-2-3-1に戻し、ボールの保持を志向した。選手らは生き生きとし、決勝トーナメントに進み、強いベルギーを苦しめ抜いた。

 本田圭佑は「(ブラジル大会で)僕らが目指したサッカーを表現できた」と話し、ザッケローニは伊紙の取材に「自分がベンチに座っているようだった。なぜなら選手はほぼ全員を知っていたし、プレースタイルもそうだった」と語った。

 ただ今大会で成果を残したのは4年前のチームではない。当時の大きな敗因だった選手の過信を根底から破壊したのはハリルの功績だろうし、ベルギーの守備網を切り裂いた柴崎岳のスルーパスは「奪って速く」とハリルが求め続けたものだ。ハリルが引き絞った弓を、西野が放ったようでもあった。

紹介する時期を失している事は
分かっているものの
記憶に留めたい、別府氏の文。


4年前に、惨敗を喫したザックJapanが
ハリルホジッチの教えと
西野の指揮によって蘇り、
世界に鮮烈な印象を与えた、
という筋書きに基づいた記事は
サッカーという競技の
流行り廃りのスタイルと
それにまつわるチームの興亡盛衰をも
併せて俯瞰しており、
読んでいて非常に小気味よい。


勝負に、ifやタラレバがないことなど
十分に承知しているが
アギーレ、ハリルホジッチ、西野
本田、香川、岡崎、長友、吉田、
長谷部、川島、大迫、山口
これらのピースが欠けていたら
この物語は完成しただろうか、あるいは
コロンビアを破ってのグループ・ラウンド突破に
あれほどのカタルシス、爽快感を
えられただろうか。


3か月前の出来事を思い出しつつも
カタールでの戦いに思いを馳せずには
いられない。