フットボールと戦争と国家斉唱

youtu.be

ホイットニー、世紀の絶唱「国歌斉唱」秘話 | ホイットニー 3D

Oh, say, did she sing

ホイットニー・ヒューストンは第15回スーパーボウルアメリカ国歌「星条旗よ永遠なれ (The Star Spangled Banner)」をどう歌うか即座に思い付いた。ジャズのコードとソウルフルなゴスペルのリズムを生かすのだ。

長年彼女の音楽監督を務めるリッキー・マイナーは、3拍子という本来のこの曲のフォーマットから一歩抜け出し、4拍子に変える事でホイットニーの肺活量を存分に生かせるのでは、との提案をした。

彼女がその歌唱で人々を驚愕させるとは、この過程で一体誰が知っていただろう?

「彼女の歌には感動して涙が出たよ」その当時ビルズのスペシャル・スターのメンバーだったスティーブ・タスカーは言う。目が(涙で)濡れていないやつなんて周りには誰もいなかったな」

「あの当時、この国は国民を一つにすることのできる何かを求めていた。彼女の国歌斉唱はその瞬間だったのさ。あれは本当にアメリカに衝撃を与えたよ。」とタスカーは付け加えた。

(中略)

The general’s perspective

その頃ペルシア湾に指令官として赴いていたシュワルコフ将校は、アメリカの国民的イベント、第15回スーパーボールのことが気になっていた。だが、サウジ・アラビアには中継がなく、リアルタイムで見る事は出来なかった。

10日後、彼のもとに一本のヴィデオテープが届いた。そしてホイットニーの国歌斉唱を見た時、彼の目から涙がこぼれ落ちた。

「本当に、本当に深く、感動したんだ。」と彼は言った。

出典:
Blessings of liberty secured for Super Bowl XXV
By Jill Lieber, USA TODAY

イラククウェート侵攻に伴って
発生した湾岸戦争
そのさなかに迎えたスーパーボウル
ホイットニーが歌い上げた国歌は
沙漠の戦場戦う兵士と彼らの帰りをまつ家族の心に強く響きわたった。
米国人だけでなく、多くの国の人間が
体が打ち震えるような感動を覚えた。


ホイットニーが映画になって
昨年末から公開されていたことに今日気づいた。
映画そのものについてさほど興味はないが
映画の宣伝用にピックアップされたこのシーンだが
その歌声を何度聞き直しても鳥肌が立つほど
心が揺さぶられる。
あれから30年以上の時間がたっているというのに、である。


正義の戦争というものが存在するか否か
現代において意見の分かれるところだが
彼女の歌声は
破邪顕正の剣が米国に授けられているのだと
考えても何の不思議もないくらいの力があったと思う。

松本隆と大滝詠一

www.youtube.com

産経新聞に連載中の話の肖像画松本隆」で
大滝詠一の名曲「君は天然色」の誕生のいわれを知った。

曲作成の直前で妹を亡くした松本のために
大滝はアルバムの発売を延期してまで
制作を遅らせた。
そして、盟友ともいえる松本が
ようやくかき起こした詞に
ポップなメロディーと軽妙な声を加えた曲は
時代を超えたミリオンセラーとなり、
未だに売れ続ける曲となっているのだが
その曲の詞は、松本が妹をモチーフに書いたものだったという。

松本は、その事実を明かさないままに
大滝に旅立たれたことを
少し後悔しているような感想をもらしているが
事実を伏せて大滝に歌を委ねたからこそ
この名曲となりえたのかも知れない。

歌い手が自分で曲を書き、オンラインにアップする時代になり
作詞家、作曲家、歌い手、プロデューサーの個性がぶつかり合い、
予期せぬ化学反応を起こすような曲がでることは
ほとんどない。
だからこそ、彼らの起こした奇跡ともいえる出逢いに
導かれた昭和の歌に
惹かれ続けるのだろう。

今思えば、昭和という時代は
暑苦しく鬱陶しく不自由なものだった。
だが、今となってはその暑苦しさが愛おしい。
たかが歌、されど歌である。

以上、昭和生まれの独り言である。

www.sankei.com

戦争とカーンと140km

www.youtube.com

メーメット・ショル(元バイエルン・ミュンヘン
「この世で怖いものは戦争とオリバー・カーン

欧州で戦争がリアルとなった本年、
シャレになっていないセリフだが、
オリバー・カーンのサッカーに対する姿勢を
これほどよく表現した言葉はないと思う。

昨日、11/29の産経新聞に別府育郎氏のコラムが掲載されていた。
記事は、先日なくなったプロ野球選手・村田兆治氏が手掛けた企画
離島甲子園について触れていた。
村田氏は生前地域的なハンディを抱える離島の野球を
盛り上げようと離島に所在する中学生の野球大会を
企画し、主催していた。
村田氏は大会に参加した球児から
甲子園出場者とプロ野球選手の誕生を夢見ていたとのことだった。
今春、選抜出場を果たした奄美大島大島高校の選手が
ドラフト会議で指名された。
奇しくも村田氏が死んだ本年に念願が
かなった悲しい事実も記されていた。

本年夏ごろにマスコミをにぎわせたこともあったが
それをもって彼の不器用にまっすぐ生き方の全てを
否定するのは間違っていると思う。

なお記事には、日韓サッカーワールドカップで活躍した
ゴリラにも似た強面のGKオリバー・カーン
参加したチャリティーの顛末にも触れており、
その内容に笑ってしまった。

サッカーの日本代表はW杯初戦で、優勝4度のドイツを相手に逆転勝利を収めた。ゼップ・マイヤーオリバー・カーンといった名守護神の系譜を継ぐ当代一のGK、マヌエル・ノイアーから奪った2得点は世界を驚かせた。

そのカーンには、こんな伝説がある。チャリティーイベントに呼ばれ、子供相手のPK戦で全てのシュートを止めてしまった。泣く子供らを前に彼は「相手が誰であれ私のゴールは許さない」と言い放ったらしい。

同僚が以前、離島で野球教室を開く村田に同行した。50歳を過ぎても140キロの速球で子供らに1球もかすらせず「本物を知ってもらうため」と話したのだという。

いずれも、プロの矜持(きょうじ)の武骨(ぶこつ)な発露といえた。

www.sankei.com

戦う男でありたい

www.youtube.com



http://majo44.sakura.ne.jp/diary0/nikki.cgi

12月15日(水)『ファイト』

個人的に日本の詩人の中で最も尊敬してるのは中島みゆきさんですが、彼女の歌に

「戦う君の歌を戦わない奴らが笑うだろう、ファイトッ」

という一節があり、これほどの美しく残酷に人間の本質を突いた日本語は他に無いだろうと常に思ってます。
人は安全で安定した場所から出て行く人間を、現在を変えて新しい世界を目指す人間を、自らの平安を破るものとして嘲笑し侮蔑します。怖いからです。羨ましいからです。
そして挑戦者の成功に対し、称賛よりも嫉妬、さらに中傷が続き、結局、苦労して得るものは自己満足と言うのが人間社会の特徴の一つです。
例外的にアメリカはこの傾向が僅かに、ほんの僅かに、他の文化圏より薄く、このほんの僅かな差があの国を世界最強の座に付けていると私は思ってます。

そして、どんなに苦労しても得られるのは自己満足だけなのに、全てを敵に回してまで一人で戦い続けたのが本田宗一郎総司令官だったと私は思っています。
人のマネを嫌い、楽な道でも嫌い、あくまで己の道を突き進んだ人でした。当然、その歩んだ道は間違いと失敗だらけなのですが、僅かないくつかの成功が桁違いに眩しいものでした。
その本田宗一郎率いるホンダが、誰に頼まれたわけでも無く何の必要も無かったのに、俺たちが世界一のクルマ屋なのだ、と証明するためだけに1964年からF-1に参戦します。
当然、死闘と言っていい戦いになりました。

(中略)

2020年はコロナ騒動もあって予想外の苦戦となりましたが、それでも確実に結果を出しつつありました。
その中で、突然、ホンダの社長がF-1からの撤退を宣言します。会社は利益を出すための集団であり、その決断は致し方ないところですが、その宣言文の内容が完膚なきまでに負け犬の泣き言で、こっちが泣きたくなりました。
ホンダはやはり死んでいました。もうダメでしょう。上が最悪の負け犬根性で現場は戦えるのかと悲しくなりました。

だが戦ったのです。そして勝ったのです。
コンストラクターチャンピオンは逃しましたが、本田宗一郎総司令官が地球上から消えてから初めて、ホンダはドライバーズチャンピオンを獲りました。
組織のトップが戦う誰かを笑う人間なのに、それでも戦い、勝ちました。ファイト。
個人的に調べた範囲内に置いてですが、人類がオギャーと生まれてから、トップが腐った組織が勝った例を一つも知りませぬ。そんなものは無いと思っていました。
間違っていました。戦うあなた達は勝ったのです。ファイト。本当に素晴らしいものを見せていただきました。心よりお礼を申し上げます。

そしてその美しい戦いは、モータースポーツ史上まれに見る激戦として記録される事になりました。メルセデスのハミルトンとレッドブルホンダのフェルスタッペンの死闘は十年を超えて百年残る戦いでした。
それに相応しいホンダの現場の皆さんの戦いだったと思います。ファイト。私は死ぬまで戦う人を笑わない奴でいたいと思います。ありがとうございました。


直木賞ウィナーにして下妻南星高校の大先輩・海老沢泰久氏の
ホンダFI挑戦の第一期と第二期の奮闘を描いた「FI 地上の夢」の帯には
"ホンダには夢に取りつかれた男たちが集まっていた"と書かれていたと記憶している。

昨年F1王者に返り咲いたことに最大限の賛辞を惜しまない夕撃旅団氏は
ホンダの社員ではないがだれよりもホンダの夢に
取りつかれた人物ではないかと思う。

彼の文章に触発れされて何年かぶりにファイトを聴いた。
ただ一つ思うことは
戦う人間でありたい、ということである。

ジャイアントキリング

ワールドカップの11月開催の影響で
10月の決勝となったサッカー天皇杯
季節外れの感覚が否めない大会は
J2所属のヴァンフォーレ甲府
クラブ初のタイトルを獲得して幕を閉じた。
自分の贔屓にしている鹿島を倒しての優勝に
切歯扼腕するものだが
対J1クラブ5連勝を達成しての頂点奪取、
延長終了間際の相手PKのストップ、
延長戦でも勝ち越しを許さず
チーム最年長の山本が決めた優勝と
語る種の尽きないヴァンフォーレ
素直におめでとうとの賛辞を贈りたい。

J2発足から始まったプロクラブとしての歴史は
お世辞にも輝かしいとは言えなかった。
人気低迷、資金不足の弱小チームで
2000年代前半に消滅していても
不思議ではなかった。
クラブ存亡の時
窮余の一策として親会社が送りこんだ人物が
ケミストリーを起こさなければ
ヴァンフォーレの名はフリューゲルスのように
コアなファンの間でのみ語り継がれる存在に
なっていただろう。

選手引退後に指導者として
歩み始めた吉田達磨の来歴も
順風満帆とは言えない。
柏のユースで成果を出して満を持しての
トップチームのヘッドコーチ就任後
チームの低迷に苦しみ解任、
その後、若手育成等の実績を買われて
アルビレックスヴァンフォーレ
続いて指揮をとるものの
成績が残せず連続して解任されている。
今年からのヴァンフォーレ
執る2度目の指揮でも黒星が先行し
リーグ戦では苦戦が続いている。
理想とするサッカーと現実とのギャップに
もがき苦しむ最中での大金星は
サッカーの難しさと面白さを
象徴しているように感じる。



勝つサッカーが正しいのかー
正しいサッカーだから勝てるのかー
その答えをめぐり、サッカーは続く。

24時間戦えますか

note.com

「なにかあったらどうするんだ症候群」に罹った社会では未来は予測できることを前提としているために、何か起きた時にはどうしてきちんと予測しておかなかったのかと批判されることになります。だから何が起きるかを事前に予測して対処しなければなりません。この症候群に罹った人は、暗黙の前提として物事を未来からの逆算で考えています。

diamond.jp


労働賃金が韓国よりも安くなったという
記事をみかけた。
最近の円安の影響かと思いきや
記事の日付は1年前ー、
円の値段に関わらず
日本が韓国の下にあったという事実に
少なくない衝撃を受けた。
どうして日本はここまで落ちぶれたのか?


落ちぶれる前の日本には
当然のことながら活力があった。
その活力の源となっていたのは、
世界でナンバーワンを競っていた企業であった。

近頃、趣味の延長でホンダやソニー
シャープやビジコンの歴史を調べたが
戦後の日本において、一時代を築いた企業には
面白い共通点が存在した。
それは官僚の指導に逆らって、
製品開発を貫き、その至らなさを
白日に晒したという経験を有することである。

半導体に挑戦した東京通信時代のソニーを嘲り、
四輪車を生産するホンダに二輪だけ作れと規制をかけ
コンピューター(計算機)開発に乗り出したシャープを侮り
世界最初のマイクロプロセッサを作ったビジコンに
無駄な外貨を持ち出すくらいなら
潰れても構わないと傲慢な態度で邪魔をしたのは
日本のベスト&ブライトである官製大学出身の官僚らであった。
しかし、官吏らの妨害乃至非協力をのり越えて
各々の会社は成功をつかみ、
日本を明るく、面白くする。

つまり、賢しい頭で計算した官僚の作文を
頭数にも入っていなかった企業家たちが
思惑ごとひっくり返したから、
昭和の終わりから平成の初めにかけて
日本は輝いていたと個人的に感じる。

決して、政治が良かったから、
官僚が優秀だったから
日本が強かったわけではない。
平和という幸運にも恵まれたが
失敗をものともしない挑戦者達がいたから
日本は繁栄したのである。

挑戦者の後継たちは何に挑んのだろうか?
前任者の成功を誉めちぎり
それを踏襲することで
よしとしてこなかっただろうか。
失敗を恐れる官僚のように
ふるまってこなかっただろうか。

失敗を恐れることは必ずしも悪いことではないが
失敗を恐れて、何もしないことは悪である。
失敗しても、立ち上がればいい、
たったそれだけのことができない国に
何故なってしまったのだろう。

何かあったらどうするー
そこに日本の凋落を招いた病根が
潜んでいるように思えてならない。

永田町を始め、賢しい人間が多すぎて
なにやら社会全体が
お節介お母さん化してしまったような
動きにくさを感じる。

ソウちゃんとタケちゃんの夢7

 レースの後、夕闇がアデレードを包むころ、市内の日本料理店で、会社スタッフによる宴が開かれた。創業者のオヤジを迎えて、四輪世界最高峰のレースでチャンピオンとなったことを祝うことを前提として事前に予約がされていたものだった。
 
 レース序盤でネルソンはスピンしていたが、その後はミスを補ってあまりあるパフォーマンスだった。ネルソンは、最後までチャンピンにふさわしい走りをみせた。ネルソンはファステスト・ラップを重ねてアランに迫ったが、アランは動じることなく勝負に徹して82周を走りきった。アランもまたチャンピオンにふさわしかった。アランはネルソンよりわずか先にゴールに達した。ネルソンがゴールに到達したのはアランの4秒後だった。なぜ勝てなかったのか? エンジンの出力も燃費もポルシェよりも会社のエンジンの方が上だった。チャンピオンとなるために何が足りなかったのか―?、油断があったのか、ヨシは自問を続けながら席に着いた。

 宴会の会場は、畳が敷き詰められた日本風の部屋だった。異国での生活が続き、やっと帰国できるー畳の匂いに押さえ込んでいた故国への慕情があふれだしそうになった。ヨシの心を祖国へのなつかしさがしめた。だが、それはわずかな時間だけで、再び勝負に勝てなかった口惜しさが首をもたげた。

 ヨシがやるせなさと格闘しているうちに、オヤジが娘夫婦ともに会場にやってきた。全員が盛大な拍手で迎えた。現場から引退していたオヤジとともに勝利の美酒を味わうことをヨシは望み、それを叶えることができなかった無念がヨシの心を重くした。「せっかく、日本から来ていたオヤジさんに申し訳ないことをした」ヨシはオヤジに土下座してあやまりたかった。最終戦で勝利を逃がした会社のスタッフも、似たような気持ちだった。レースの結果にがっかりしながらも、ヨシを励まそうとしたアニキの言葉がよぎった。来年こそは―、ヨシは固く心に誓った。

 乾杯の音頭をとってもらうために若いスタッフがやや緊張しながらオヤジに申し出た。宴会に参加していたのは若いスタッフばかりで、オヤジと一緒に仕事をした人間はほとんどいなかった。最年長のヨシですらオヤジから怒声を浴びせられたのは1、2年に過ぎなかった。それでもスタッフ全員がオヤジの激しさを伴った情熱を知っていて、直接の薫陶はなくてもそれを受け注いでいる自負があった。

 オヤジは機嫌よさそうに頷いて、ビールが注がれたコップをもって畳より一段ばかり高くなっていたステージの上に進みでた。そこでヨシたちは信じがたい光景に遭遇した。オヤジはステージの赤いカーペットの上に正座して、コップを脇において手を床につけて深々と頭を下げた。宴会場にどよめきが起きた。満面の笑みを浮かべながら矍鑠としたオヤジの言葉が胸に響いた。ヨシは思わず嗚咽を漏らした。まわりのスタッフも衝撃を受けて、目に涙を浮かべた。

「世界一になるという私達の夢をかなえてくれてありがとう」