満州国の夢と虚実

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戦後、参議院議員としても活動された山口淑子氏が半生を綴った自伝。
劇団四季ミュージカル「李香蘭」の原作とも聞いた半生記は、
昭和の希望と失望、満州国の夢と虚実ともに時代の波に
翻弄された人達の人生の喜びと悲しみが詰め込まれていた。

中国大陸に夢を馳せた父・文雄氏の教育のもと
日中友好の架け橋となることを期待され、
中国人の養女となり、中国人として女学校に通っていた。
ある時ラジオの出演を依頼され、承諾したことを契機に
李香蘭としての彼女の人生が始まる。
彼女自身の意向は殆ど汲み取られることなく
映画の出演がねじ込まれ、知名度があがり、
やがて、満州国を代表するスターとなる。

彼女の激動ともいえる大陸における前半生は
日本が大陸に打ち立てた王道楽土の幻
満州国の興亡と一体であった。

中国人が偽満と呼び、揶揄や嘲笑、
あるいは軽蔑の対象にもなった満州国だが
単なる日本の傀儡国家として、その存在を
全面的に否定することは正しいのだろうか。

山口氏の回想からは、思慮分別のつかないゆえに
満州国プロパガンダ的な役割を担い中国人の心を深く傷つけたことを
詫びる言葉やその心情をにおわせる記述が度々でてくる。
李香蘭としての活動を全面的に肯定できない罪と咎を背負ったような
彼女の生きづらさを感ぜずにはいられなかった。

彼女が満州映画の女優として国策的な作品に出演したのは事実だが、
そのこと自体を罪として、その責任を問うことは妥当といえるだろうか。
そして日本と満州、そして中国の民衆から受けた喝采は徒花だったのか。
日本の敗戦が漂いはじめた昭和20年5月の上海で開かれた
昼夜2回3日間の彼女のリサイタルの2千の席には3倍のプレミアがつき
観衆の9割が日本人以外であったという。
集まった観衆は彼女たちに何を求め、聞き入ったのだろうか。

枝葉な話にはなるが、このリサイタルには服部良一がブギの曲を作成し
彼女に半ば実験として歌わせたという。


戦後、日本に引き揚げたあと、
大陸の夢に破れた彼女の父や知人らの人生が
転落、あるいは瓦解していくさまは
悲しさと哀れさを覚えずにはいられなかった。

果たして、満州国とは何だったのだろうか。
束の間のた幻というには、余りにも多くの人生が
翻弄されていた。
その爪痕を辿るにはあまりにも遠く大きく感じる。

フェイスブックの失墜

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近所の図書館で借りてみた。


フェイスブックにアカウントを持ち
ほそぼそと交流しているわが身を棚に上げていうが、
フェイスブックの情報管理はやばい。


ぱよばよちーん事件とか
ケンブリッジ・テナリティカによる暗躍などを
知っている人たちには
いまさらながらの話ではあるが、
関係者300名に及ぶインタビューを経て、執筆された本書は
CEOのザッカーバーグ
セキュリティや会社の意義など社会的な責任について
関心が薄く、
ほぼ担当者に丸投げに近い状態であることを
明らかにしている。

端的にいえば、著者がインタビューをしていた時点では
フェイスブック保有している個人情報保護のポリシーが
信じられないほどゆるく
運営に携わる個々の技術者の良心に委ねられていた部分が
多分にあった。
ゆえに、フェイスブックでは、本来権限のない技術者が
不当に情報にアクセスして解雇される例が散発している。

扱う情報の量や雇用されている技術者の総人員が不明なので
流出や不適切案件の多寡について判別できないが
仮に少数であるにしても、アクセス権限の制限などの
根本的な措置が取られていなかった事実は
世界的な情報企業の姿勢として少しばかり驚かされた。

2016年のアメリカ大統領選挙の際、
ロシア、もしくはロシアの意図を体した団体発の
フェイクニュースが大量にバラまかれ
選挙結果に大きな影響を与えた事実について
その過程が詳細に記されており、
マインド・ハックに書かれていたことが
やはり真実であったのかと思うと
フェイスブックに失望せさるを得ない。

もっとも、アメリカが2014年のマンダイン革命の
"演出"を考えれば、はたして宜なるかな
オリバー・ストーンが監督した「ウクライナ・オン・ファイアー」では
中東の春と呼ばれる動乱は
アメリカが
専制主義の国家に謀略を仕掛けたという視点で描かれている。
フェイスブックが、チュニジアリビアなどにおける
体制打倒の尖兵となつていた事実を読み解くことがきるが
本書を読むかぎり、政権の打倒に積極的に加担したというよりは
ゆるゆるのシステムをいいように利用されたように思える。

いずれにせよ、巨大なシステムは
我々の生活に深く入り込んでおり
それを拒否することは、できない。


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誰を許し誰を許さず 戦後民主主義の眼鏡をぼくらはかけて

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大仰なものいいだが、民主主義という呪縛は
この国というより、世界の病巣となっていると思うことがままある。


そうした公に口にすることが憚れる鬱屈する心情に
屋良健一郎氏によるこの短歌は
深い一撃となった。

マネーボールとアルゴリズム

GM(ゼネラル・マネージャー)でありながら、
現場に進出して選手起用や作戦に
口に出すビリー・ビーンの活躍は、この映画のモデルとなった頃が
ピークだったといえる


確率統計によって野球を分析したセイバーメトリクスの手法を用いて
メジャーリーグに旋風を巻き起こした
GM(ゼネラル・マネージャー)ビリー・ジーンと
彼が束ねるオークランド・アスレチックス
マイケル・ルイスによるほぼ原作どおりに映像化していた。

長いリーグ戦を戦う上で、大事なのは確率ー
貧乏球団がそのアイディアを採用して、快進撃する様は
見ていて小気味いいし、映画としてもいい出来であった。

今では野球を確率で俯瞰するセイバーメリトクスの手法が
有効であることは広く知れ渡っている。
日本でも、一昨年阪神が優勝した際に岡田監督が
四球を選ぶことを重視したとのコメントを出しており
今更かよ、と一人突っ込みをいれたものである。

さて、セイバーメリトクスの普及によって
ビリー・ジーンのアスレチックスはその優位性を失った。
確率統計によって選手起用や作戦を決定するといっても
そのアルゴリズムを組み込むのは人間であり
そのアルゴリズムは日々進化している。
そうしたアルゴリズムの進化によって、利益が見込めるのであれば
当然のことながら、競争が激化し、
投資した金額が多ければ多いほど有利となる。
貧乏なアスレチックスがここ数年沈むのは至極通りである。

当たり前のことであるが
アルゴリズムは有効であるが、完璧ではない。
日々アップデートすることにより、完璧に近づくのである。
Siriやワトソン、チャットGPTなど
多くのAIが登場し、我々の生活を効率の良いものに変えているが
検索することのみで思考を放棄した先の世界に
何が待ち受けているのか、正直予測がつかないが、
憲法であれ、プライマリーバランスであれ、
現状を維持のみを是として、アップデートを受けない国に
発展のチャンスなどあろうはずがないと
ネトウヨっぽい偏見を述べておく。