マネー・ボール

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日本では2004年に翻訳出版された本で
ややとうがたった本である。

オークランド・アスレチックスGM
ビリー・ビーンが、無名の選手を調達する様を記した本だが
彼の活躍は伝説と形容してもいい類のものである。

高校時代強打者として名を馳せたビーン
NYメッツから1980年のドラフト1巡目で指名を受ける。
スタンフォード大学からも勧誘を受けており
野球選手以外の道も選択することが可能であったが
契約金12万5千ドル(現在の約40万ドル相当)を手にして
入団を決意する。
恋人とも結婚し、メジャーリーグで華々しい活躍を
本人も周囲も期待していたが、
1軍に定着することもままならず
1989年シーズンをもって引退する。


現役生活を終えた彼は、最後の球団となったアスレチックスで
スカウトして再出発し、当時GMだったサンディ・アンダーソンから
野球マニアのビル・ジェームスが自費出版した冊子の存在を教えられる。

そして数年後、オーナーが変わり
資金繰りが渋くなった球団のGMに就任したビーン
ビル・ジェームズの冊子、一風変わったデータ分析をもとに
チームの再建に乗り出す。
その方針は、コストパフォーマンスの良い選手を集めて
得点の確率が高い戦術を徹底するものだった。
打者は初球を振るな、可能な限り四球を選べ
バントと盗塁は不要という方針を徹底するために
監督(フィールド・マネジャー)の作戦にも
罵声とともに口を出した。

当時、金満球団NYヤンキースの三分の一とか、四分の一の
予算しか組めなかった貧乏球団は
他球団でくすぶっている選手をトレードなどで安く買いたたき
活躍して年俸が高騰したら高く売りさばいて、
その資金でまた新しい選手を発掘するという自転車操業に近いやり方で
毎年地区優勝を争うだけでなく
2001年、2002年シーズンに100勝以上を達成するなど
驚異的な勝率てメジャーリーグを翻弄する。

ビーンの人集めはデータに基づいているだけであり
それ自体は秘密でもなんでもないのだが
その道の達人の経験則やセオリーと合致しないデータを
無条件に受け入れることかできる人間がどれほどいるのだろうか。
また手法が正しくても
世界にはびこる確執と軋轢と格闘して勝利することは
容易なことではない。

しかし、ビーンはそれを実行したのである。


ビリー・ビーンがアスレチックスいなければ
イチローのいたシアトル・マリナーズ
何度かポスト・シーズンに進出できた筈だ。

以上、にわかデータサイエンティストの独り言である。