我は苦難の道を行く―汪兆銘の真実


我は苦難の道を行く〈上〉―汪兆銘の真実 (文春文庫)

上坂冬子の「汪兆銘の生涯」を読み終えた。
日本との和平を探りながら「一面抵抗 一面交渉」を掲げ
南京国民政府を樹立し、南京環都を行い、
時代の波に翻弄されたある愛国政治家の生涯は、あまりにも悲劇である。
戦争で民衆が苦しむのが忍びなく日本と和平交渉を探り、
敢えて売国奴の汚名を着ることを甘んじた汪は、政治家として優しすぎた。
彼の息子汪文嬰ですら、
「清廉潔白な真摯であり優れた文人ではあったが、政治家としては失格である」
と批評する。


彼は、重慶を出るとき蒋介石

君為其易 我任其難」(君はその安易な道を行け、我は苦難の道を行く)

と文を認め、文字通り苦難の道を歩んだ。
時には、腹心の部下を暗殺され、また裏切られ、
日本政府からは、蒋介石との天びんに架けられ、
何度も政治的な窮地に陥った。
それでも彼は道を進んだ。
蒋介石と袂を別かった彼は日中の平和を模索したが、
志半ばで病魔に敗れそれを叶えることは能わなかった。


日本が先の大戦で中国に避難されるべき点があるとするならば
愛国心に満ちた政治家の命賭けの行動に
何ら報いず、未だにそれをしないことではないだろうか。
私は、この非力ではあったかも知れないが、壮絶な愛国者の人生を衷心より悼む。