瀬島龍三

http://www.chunichi.co.jp/article/national/news/CK2007090402046371.html

大本営参謀から大手商社会長、中曽根康弘元首相のブレーンとして行政改革にもらつ腕を振るうなど、戦後の政財界で隠然たる影響力を発揮した元伊藤忠商事会長の瀬島龍三(せじま・りゅうぞう)氏が四日午前零時五十五分、老衰のため東京都内の自宅で死去した。九十五歳。富山県小矢部市出身。葬儀・告別式は近親者で執り行う。喪主は長女繁代(しげよ)さん。伊藤忠商事亜細亜大学が合同葬を開くが、日程などは未定。

http://news.livedoor.com/article/detail/3294095/

そして82年中曽根康弘首相就任と共にブレーンとして政治の参謀となり、韓国の全大統領訪日の交渉を行い、実現にこぎ着けた。これには瀬島氏の陸軍士官学校人脈があったとされている。なぜなら当時の韓国政界の軍出身者の多くは日本の士官学校を出ているからだ。

 その一方で第二次臨時行政調査会の委員としてリーダーの土光敏夫氏を脇で支え国鉄電電公社、専売公社の民営化の具体策を提案したとされている。

 その後はあまり表に出てこなくなったが、山崎豊子の小説「不毛地帯」の主人公・”壱岐正”のモデルとされており、「沈まぬ太陽」に出てくる”首相のブレーン・龍崎一清”だとも言われている。

不毛地帯は読んでいないが、
沈まぬ太陽ではかなり阿漕な人物として描かれていた。
司馬遼太郎は、瀬島と何かの企画で対談したために
ノモンハンを舞台にした小説の構想がぽしゃったとことあるとか。
韓国が近代化する上で、
瀬島氏から助言を受けたという話を何かの本で読んだことがある。


瀬島氏が著した「幾山河」には、大東亜戦争中のことが綴られているが
大所高所からの記述ばかりで、
とても自身で体験したと思えないくらい客観的な内容だった。
彼のことは断片的な情報が多く、全体的な姿が見えないので、
瀬島龍三という人物をどう評価していいのか分からない。


毀誉褒貶があろうとも、多くの人にとって不都合な事実があろうとも
彼には語る義務があったのではないだろうか。