四方の海みなはらからと思う世に など波風のたちさわぐらん


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060720-00000062-mai-soci

昭和天皇靖国合祀不快感に波紋…遺族に戸惑いも
「だからあれ以来参拝していない。それが私の心だ」。富田朝彦・元宮内庁長官が残していた靖国神社A級戦犯合祀(ごうし)への昭和天皇の不快感。さらに、合祀した靖国神社宮司へ「親の心子知らず」と批判を投げかけた。昭和天皇が亡くなる1年前に記されたメモには強い意思が示され、遺族らは戸惑い、昭和史研究者は驚きを隠さない。A級戦犯分祀論や、小泉純一郎首相の参拝問題にどのような影響を与えるのか。


http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/news/20060720dde001040093000c.html
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20060720it06.htm
http://www.asahi.com/national/update/0720/TKY200607200581.html
産経ニュース
産経ニュース



A級戦犯靖国神社に合祀したことを
昭和天皇が不快と感じていたことを記したメモがあったという。
この時期に何故発表されるのか、
内容からして俄には信じがたい。
調べてるみると毎日新聞は用意周到なことに夕刊に
関係者や識者からのコメントを掲載している。


毎日といえば、系列のTBSが数日前靖国まつわる報道の”超訳”で
あちこちからツッコまれている。
参照URLhttp://oiradesu.blog7.fc2.com/blog-entry-1335.html



私が伝え知る限り昭和天皇がお怒りになったことは3度である。
226事件で当時の大臣が青年将校らに暗殺された時と
張作霖事件で調査が不首尾に終わった時、
そして美智子現皇后が皇室で聖書を読んだ時である。
張作霖事件以降は、自分の感情が政局に与える影響の大きさを鑑み
怒りを露わにすることを自戒されたと聞いている。


太平洋戦争を回避できず昭和天皇に申し訳ないと号泣し
東京裁判において皇室を守るために泥を被った東条英機
陛下は疎ましく思っていただろうか。
産経新聞は、そうした疑問点を踏まえてこのメモ発表に
何らかの意図が働いているようなことを匂わせている。
メモの信憑性も定かでないうえに
そして中国や韓国の反応の早さも不自然に感じる。
よつてこのメモを素直に信じることはできない。



記録保存のため毎日新聞記事を掲載

昭和天皇靖国A級戦犯合祀に不快感「だから参拝していない」
 昭和天皇が1988年に、靖国神社A級戦犯合祀(ごうし)について強い不快感を示し、「だから私はあれ以来参拝はしていない」などと語っていたとされるメモが、当時の宮内庁長官富田朝彦氏(故人)の手帳に残されていたことが分かった。昭和天皇は78年のA級戦犯合祀以降参拝しなかったが、その理由はこれまで明らかになっていなかった。間接的なメモとはいえ、昭和天皇の合祀についての考えが公になったことで、今後のA級戦犯分祀論議や首相の靖国参拝問題などに影響を与えそうだ。
 ◇元宮内庁長官88年メモ
 遺族らによると、富田氏は、74年に宮内庁次長に就任し、88年6月に長官を退任するまで、昭和天皇との会話などを日記や手帳に残していた。
 靖国神社についての発言メモは88年4月28日付で手帳に張り付けてあった。メモはまず、「私は 或る時に、A級が合祀されその上 松岡、白取(原文のまま)までもが、 筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが」と記している。
 「松岡」はA級戦犯で合祀されている日独伊三国同盟を締結した松岡洋右元外相(東京裁判の公判中に死亡)、「白取」は白鳥敏夫元駐伊大使(同裁判で終身禁固刑、収監中に死亡)、「筑波」は66年に旧厚生省からA級戦犯祭神名票を受け取りながら合祀しなかった筑波藤麿靖国神社宮司(故人)とみられる。
 メモはさらに「松平の子の今の宮司がどう考えたのか」「松平は 平和に強い考があったと思うのに」などとしたうえで、「だから 私(は)あれ以来参拝していない それが私の心だ」と記している。「松平」は終戦直後の最後の宮内相、松平慶民氏(故人)。「松平の子」は、長男で78年10月にA級戦犯を合祀した当時の靖国神社宮司松平永芳氏(同)とみられる。昭和天皇松平永芳氏が決断した合祀に不満だったことを示している。
 昭和天皇は45〜75年8回靖国神社を参拝した。
 富田氏は警察官僚出身で、74年に宮内庁次長、78〜88年まで同長官を務めた。87年には昭和天皇が開腹手術を受けることを決断した。03年11月、83歳で死去した。
 遺族によると、富田氏は昭和天皇とよく会話し、書きとめ保管していた。今回の発言については、富田氏が長官当時、直接聞いたことがあるという。
 昭和天皇の不快感について、靖国神社広報課は「コメントは差し控えたい」と短く談話を公表した。【桐野耕一】
 ◇分祀論議に影響も
 昭和天皇A級戦犯の合祀に不快感を示していたことを裏付ける資料が発見されたことは、小泉純一郎首相の靖国神社参拝がクローズアップされる中、政界に根強いA級戦犯分祀論議に一定の追い風となりそうだ。ただ、靖国神社側は分祀について、これまで強く否定している。
 天皇参拝が途絶えたことは、78年のA級戦犯合祀に配慮したとの指摘がもともと政界に強かった。一方で、75年の最後の天皇参拝と合祀の間に約3年の空白があることから、国会で野党が天皇参拝を追及したことが原因、との反論も根強かった。安倍晋三官房長官は20日の記者会見で資料について「宮内庁からは『個人のメモに基づくもので、詳細を承知していない』と報告を受けている。天皇陛下の参拝については、そのときどきの社会情勢など諸般の事情を考慮しながら慎重に検討して宮内庁で対処してきた」と説明。小泉首相の参拝への影響については「首相自身が判断するものだ」と語った。
 A級戦犯については、自民党古賀誠元幹事長、山崎拓前副総裁らが分祀論を提起している。かねて中曽根康弘元首相は「天皇陛下もお参りできるためには分祀が一番いい」と主張しており、今回の資料発見で天皇参拝の復活を求める観点からの分祀論が勢いを得る可能性はある。
 ただ、政界が分祀論議を提起することは政教分離原則に抵触するとの批判があるうえ、靖国神社側は分祀を強く否定しており、状況は複雑だ。【中川佳昭】
 ◇内容信用できる−−「昭和天皇独白録」の出版に携わった作家の半藤一利さんの話
 あり合わせのメモが張り付けられていて、昭和天皇の言葉をその場で何かに書き付けた臨場感が感じられた。内容はかなり信頼できると思う。昭和天皇は人のことをあまり言わないが、メモでは案外に自分の考えを話していた。A級戦犯合祀を昭和天皇が疑問視していたことがはっきり示されている。
==============
 ■富田氏メモ靖国部分の全文■
 私は 或る時に、A級が合祀されその上 松岡、白取までもが、
 筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが
 松平の子の今の宮司がどう考えたのか 易々と
 松平は 平和に強い考があったと思うのに 親の心子知らずと思っている
 だから 私あれ以来参拝していない それが私の心だ(原文のまま)
==============
 ■ことば
 ◇A級戦犯
 第二次世界大戦後、ポツダム宣言に基づいて開かれた戦犯裁判で、「中心的指導者」とされた被告。終戦間際に連合国側が定めた「平和に対する罪」に該当するなどとして、首相経験者や陸海軍高官ら28人が起訴された。極東国際軍事裁判東京裁判)での48年の判決では、全員有罪(公判中に2人死亡)で、東条英機元首相ら7人に絞首刑が言い渡された。78年10月に絞首刑の7人と公判中や収監中に死亡した7人の計14人が靖国神社に合祀されている。
毎日新聞 2006年7月20日 東京夕刊