日出づる国1

(序)
「敗戦国民のくせに」
そう言われると私は何も言い返すことができなかった。目頭が不意に熱くなった。
私は目から涙をこぼすまいと強く唇をかみしめた。
そして、あらん限りの力で右の拳を固め、
目の前にいた底意地の悪い雇用主をぶん殴った。
その一発で私はアルゼンチンで初めての仕事を失った、
雇われたのはその30分前の出来事だった。



(1)
「ああ、腹減ったなぁ。」
無一文で空腹を抱えて歩く身には、秋のブエノスアイレスの風は冷たかった。
仕事がクビになったことを後悔してはいない。だがそこで一つの疑問がもたげた。
何故俺は、あの花屋の店主の言葉ー「敗戦国民のくせに」が
我慢できなかったのだろうか。
愛国心?矜持?いや、そんなものが今の自分にあろう筈はなかった。
忠誠や忠義など、身動きがとれなくなりそうな荷物はどこぞに捨ててきた。
自分を育み、身を賭して護ろうとした満州国は、
日本の敗戦とともに地上から消え去った。
敗戦の少し前に日本海制海権を連合軍に奪われた中で
日本への帰国を賭けた分の悪いばくちに勝つには勝ったが
果たしてそれは幸運だったのだろうか。
生き延びてたどり着いた故国で私を待っていたのは、
終戦間近の焦土と化した国土だった。
それは私が夢に思いがけた美しい祖国とはかけ離れた姿であり、
そこに住むそして人々は一億総玉砕の狂気に取り憑かれたか、
戦争に疲れていたかのどちらかだった。


昭和20年8月15日正午、日本中で響いた玉音放送を聞いた時
自分の中にあった何かが音を立てて崩れた。
焼けた街は敗戦から日が経つごとに復興し、人々の顔に明るさが戻った。
しかし、私の心は玉音放送以来満たされることはなかった。
死んでもよかった。いや私は死にたかった。
私が死ななかったのは、ただ単に死ぬに値する理由を
見つけることができなかったに過ぎない。
家族も身を寄せる辺もなく、戦争と敗戦で何かもなくした私にとって
自分が何故生きなければいけないのか、その意味を見つけることはできなかった。
私が第二の祖国として慈しんだ満州の大地はソビエトに蹂躙され、
跡形もなく消え去った。
伝えられてくるその惨状に私の心は凍き、私は耳を塞ごうとした。。
しかし毎日知りたくもないニュースが耳目に飛び込んできては、
私の心を少しずつ削っていった。
私は何か得体の知れないものに押しつぶされそうで息が苦しかった。
窒息しそうだった。
気が付くと私は、星光丸で地球の裏側であるアルゼンチンにいた。
昭和26年3月のことだった。