偽偽満州

偽偽満州 (集英社文庫)

あたしは最初から慰み者だったから、
絶望なんて言葉だけは知ってはいても
身には染みなたことはなかったし、
その反対の希望なんてものも
やっぱり言葉だけは知っていても
この腕に抱いたことはなかった。
あたしはただ、
あたしを嬲る者とあたしに騙される者の区別だけすれば
よかったのだから。
神仏に祈ることは悪行だったし、無駄だったし、
何よりもそんな暇がなかった。
なぜってあたしは追うか追われるしかない女だったからー。

満州という言葉に釣られてほぼ衝動買い。
だが、冒頭のこの口上を読んでこの小説にいい買い物だったことを確信した。
女性が描く悪漢ピカレスク小説がどれほどあるか知らないが
これほど小気味いい、股の切れ上がった小説はそうそうあるまい。



時代は昭和初期、物語は岡山の女郎小屋から始まる。
女郎小屋の売れっ妓だった主人公・稲子は
中西と名乗る影のある男を客として迎える。
男が巷間を騒がしている強盗・ピス完であることを察した稲子だが
昵懇の仲となり、女郎小屋を出奔、
強盗や殺人の悪事を重ねる男とともに船で釜山にわたり
大連へとたどりつく。
しかし稲子は、中西に騙され遊郭へ落ち、再び春をひさぐ境遇へ。
だが、言葉の通じない異国の地は稲子の終着駅ではなく、
新たなる旅の出発点だった。


大連、奉天、新京、ハルビンと自分を捨てた男同様に
次々に悪事を重ねては逃避行を続ける稲子。
それは、愛する男を探すためか、
それとも自分を騙した男に復讐を果たすためなのかー
それはあたかも、
追いつ追われる逃避行を楽しんでいるかようですらある。
研ぎ澄まされた刃の上を
裸足で駆け抜けるよう眩いばかりの稲子の生。
待ち受けるのは破滅でしかないことを承知しながらも
彼女は走り続ける。


昭和初期の遊郭で体を売る女を哀れで悲惨と決めつける輩を
笑い飛ばすかような痛快冒険娯楽小説。
男性作家のミステリーのようなプロットの重さと緻密な伏線はないが
私は私の生きたいように生きるーそんな女性の強かさが
スパイスのように効いた味のある小説だったと思う。