封印されていた文書(ドシエ)-昭和・平成裏面史の光芒


封印されていた文書(ドシエ)―昭和・平成裏面史の光芒〈Part1〉 (新潮文庫)


三菱銀行北畠支店での籠城事件、上九一色村での強制捜査
阪神大震災、ペルー日本大使館人質事件、
北朝鮮不審船逃亡、あさま山荘事件等々
昭和から平成にかけて日本で起きた大事件において
封印され続けた"真実"の数々
それぞれの時に"もし"があったら、戦後の歴史は大きく変わっていただろうが
幸運にも、最悪の"もし"は訪れず、我々は平和を享受することができた。
しかし、一歩間違えば被害は拡大し、
目を覆うような惨状がこの国を覆ったことを思えば
戦慄を覚え、背中がうすら寒くなる。


それにしても、気になるのはいつの時代においてもトップとなる人間の臆病さである。
麻生幾の「宣戦布告」や福井敏春の「亡国のイージス」などの小説等には
危機に直面した際、決断力の乏しい保身に走る政治家の姿が描かれているが
封印されていた文書が明らかにしているものの一つは、意気地なしの政治家達の姿だった。
体裁だけを考えて、警察や自衛官の現場に無用の出血を強いて、
そのことに恥じ入るわけでもないそ面の皮の厚さと浅まい考えには
体中の血が沸騰するような怒りが心の底からこみ上げてくる。


権力とは、人を守るために使うのであり、己が利権を守るために使うのではない。
善良な国民を守るがために権力を委ねられているのであり、
それを行使しない、または行使することを決断できない政治家などは
百害あって一利なしの存在である。


この国の不幸は、人権が守られていないことでもなく、
右傾化をひた走っていることでなく、教育機会が均等でないことでなく
悪を悪として断罪できないことである。
持論が死刑反対だから、死刑執行の署名にサインしないとかいう法務大臣などが
いたような気がするが、
そうした人道主義者の皮を被った偽善者が掃いて捨てるほどいて、
国家機能を麻痺させ、機能不全に陥らせてしまったのでないかと個人的には思う。





加筆完全版 宣戦布告 上 (講談社文庫)

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亡国のイージス 上 (講談社文庫)

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