色々とレビューを見聞きしていたで、過剰な期待はしないで観たが
案の定というか、消化不良な部分が多く残った。
場面、場面では役者の演技もいいし、護衛艦の迫力も十分にでているのだが
いかんせん、全体としてみるとまとまりがないというのが率直な感想である。
福井晴敏の原作は、前作である「Twelve Y.O.」の設定がそのまま使われ
物語の伏線としてあちこちに張ってあるので、このあたりの流れを知っておかないと
映画は半分くらい訳が分からなかった筈だ。
事実、偶然tacaQの後ろの席で観てた職場の後輩が
「訳分からんかったです。」と云っていた。
中途半端に物語を詰めるくらいなら、映画用のシナリオをもっと大胆にいじった方が
良かったのではないか、と思う。
この物語は、イージス艦やF-2支援戦闘機など登場し
「国として守るべきものを無くした国が何を守るのか」
という硬派の問いかけがあっても、主題は主人公如月行の魂の救済にあるのだ。
たった一人の身内である父親を殺した如月行が、
命の捨て場所を探すかのように、命すら危険に晒す情報員という道を歩いた末
息子を諜報活動に絡んだ事故で失い生きる屍となった宮津艦長*1と邂逅し
イージス艦の反乱で敵味方に分かれながらも、
最後には互いを理解し、互いの魂を癒すというのが物語の根幹にあり
人間を殺傷する兵器群を描きながらも、それを扱うのは血の通った人間である、というのが
原作者の最も云いたいことであったと私は思う。
それを中途半端に描くくらいなら、どちらかの都合をカットするなり
北朝鮮スパイを省くなり、或いは米軍が極秘に開発した秘密兵器の恐ろしさを
わかりやすく伝える工夫をして、ドラマをもっと盛り上げるべきであった。
ついでに云わせてもらえば
護衛艦の艦長の選定するにあたり、身上調査は厳重に行うので
身内に不安要素のある者が艦長になれないと海上自衛隊からクレームが付き
反乱を起こす宮津を艦長から副長に変更するくらい気を遣うのであれば
背広組の渥美部長が、如何に空想の部隊とはいえ制服組で構成する反乱制圧部隊を
直接指揮する不自然さも修正すべきであったと思う。
渥美役である佐藤浩市の演技が素晴らしかっただけに、余計に目立っていた。
唯一手放しでほめられる箇所があるとすれば
イージス艦の反乱を知った政府首脳と自衛隊の幹部、防衛庁のトップらが
責任逃れを展開するシーンではないだろうか。
この映画の作成にあたり海上自衛隊が全面的に協力しているが
当初防衛庁は、「自衛官がクーデターを起こす物語だ。」ということで難色を示したが
当時、防衛庁長官であった不破氏の一声で逆転したそうだ。
「原作を読んだのか? これは国防の意義を問う作品だぞ。」と。
一部ではオタクと異名をとるほど防衛問題に知悉した同長官でなければ
この映画は陽の目をみなかったであろう。
そういう意味でいえば、自衛隊がクーデターを起こす物語とならなかっただけでも
良しとするべきかもしれない。
以上、防衛庁長官になる予定のない軍事オタの独り言である。
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*1:映画では副長