張作霖爆殺「ソ連が実行」

張作霖爆殺「ソ連が実行」
露の歴史家・友好こじれ…一度は失敗


関東軍によつて一九二八年六月四日、中国北部の奉天(現在の瀋陽)郊外で暗殺されたとされる奉天軍閥大元帥張作霖。しかし、真相は、その反ソ連的姿勢に重大な脅威を抱いたソ連特務機関が手を下し、関東軍の仕業にみせかけたー。ソ連・ロシア特務機関の活動を専門とする歴史家、ドミトリー・プロホロフ氏はこのほど、本誌にそう語った。゛日本による中国侵略の第一歩」とされる張作霖爆殺事件の"真犯人"はソ連なのか。だとすれば歴史を書き換えることになるだけに事件をめぐる議論は今後、活発になりそうだ。(サンクトペテンブルク内藤泰朗)


プロホロフ氏は、旧ソ連国家保安委員会(KGB)出身のプーチン大統領のおひざ元である事サンクトペテンブルクで、ソ連崩壊を機に同国の特務機関について執筆を開始。これまでに十冊以上の専門書を著した。
同氏によると、日本の支援で中国北部の満州を支配した張作霖は二四年九月、武器援助などで中国に影響力拡大を図るソ連政府と「中国東北鉄道条約」を締結し、友好関係を結んだ。しかし、張作霖軍の鉄道代未払い額が二五年末に千四百ルーブルに達し、ソ連側が抗議、鉄道使用禁止を通達すると、同郡はソ連鉄道監督官を逮捕し、事実上実行支配。ソ連側はその反ソ連的な姿勢に加え、ソ連が支援した国民党の軍事作戦の相次ぐ失敗にいらだちを募らせ「張作霖暗殺」を決めた。
しかし、計画を未然に察知した張作霖側が二六年九月、暗殺命令を受けたソ連特務機関の工作員らを逮捕。暗殺は失敗した。ところが、ソ連側は、張作霖が二八年、反共・反ソの満州共和国創立を日本側と協議し始めたために、暗殺計画を再度立案。実行責任者には、後にメキシコに国外逃亡した独裁者スターリンのライバル、トロツキーの暗殺にも深く関与した合同国家保安部諜報員、ナウム・エイチンゴンらを任命した。
張作霖を乗せた北京発奉天行き特別列車が同年六月四日、奉天郊外に差し掛かったとき、大爆発が起き、重傷を負った張作霖は十数時間後に死亡。事件は、極東国際軍事裁判東京裁判)で関東軍もと幹部が犯行を認める証言を行い、「日本の犯行」となった。
しかし、プロホロフ氏は「その幹部は戦後、ソ連に抑留され、ソ連国家保安省が準備した内容の証言をさせられた。日本が張作霖を暗殺しなければならない理由はなくソ連が実行した」と指摘した。インタビューの詳細は三月一日発売の雑誌「正論」に掲載される。
(平成18年2月28日産経新聞


半ば正論の宣伝記事のような産経新聞の記事だが
これを読んで、少々吃驚している。
関東軍張作霖は持ちつ持たれつの関係で密接な関係にあったが
次第に張作霖が、関東軍の悪辣さに嫌気が差してこれと距離を置こうとしたために
関東軍が河本大佐に命じて暗殺したと自分では認識していたが
これを検証する必要がでてきた。
このインタビューだけで、張作霖ソ連によって殺されたと断じるのは早計だが
少なくても関東軍陰謀説を鵜呑みにすることはできなくなった。


張作霖死亡以降は、彼の息子張学良と折り合い悪くこれと対立して
日本は泥沼の日中戦争へと足を踏み入れるのだが、
もし、満州国建国と経営が張作霖との共同によってなされていれば
どうなったであろうか。
昭和史最大級のifである。