1900年代、清朝が倒れ、新時代の幕開けと期待された
辛亥革命も暗礁にのりあげ無政府状態となった中国を舞台とした
「蒼穹の昴」「珍妃の井戸」に続く浅田次郎の大河小説。
清朝末期、東北部の満州に忽然と現れ
瞬く間に満州の主となった張作霖
彼はいったい何を考え、何を目指したか。
数多くの数奇な物語に彼生き様を彩られながら
「没法子(しょうがない)」と
満州の那辺で生きる多くの民衆の嘆きの悲しみを
怒りとかえ力となして、突き進む。
歴代王朝の皇帝がもつ伝説の龍玉に力に導かれるかのように。
登場人物の言葉遣いにやや違和感を感じながらも
張作霖が満州に力を伸ばし
民衆から慕われる様は小気味よい。
清朝を築いた愛新覚羅の物語を重ねあわせ
全く二つの別の物語を進行させてかつ
長城を超えて進撃するラストシーンで一致させる
巧みな構築は鮮やかの一言に尽きる。
神でも鬼でもねえ、俺は張作霖だ。
と何度となくつぶやく主人公のセリフに
作者が描きたかった英雄の姿が凝縮されていると思う。