張作霖2


前回のエントリーでとりあげたプロホロフ氏のインタビューに対して
藤岡信勝氏は正論4月号で以下のように述べている

秦郁彦氏『゜昭和史の謎を追う(上)』によれば、現場の実行責任者は独立守備隊中隊長東宮鉄男
とうみやかねお
大尉と朝鮮竜山工兵隊から分遣されていた桐原貞寿工兵中尉で、二百キロの黄色火薬を配置し、電気コードを取り付け、草むらの中を這わせて二百メートル南方にある畑地にある守備隊の監視小屋に引き込んだ。ここで東宮らが電気点火器のボタンを押した。河本大佐は関東軍司令部が陣取る瀋陽館ホテルにいた。ここまでの事実は分かっているから、日本軍の実行行為は常識的には疑いようがない。


そこで今回のプロホロフ氏のインタビュー記事を拝見した。私の関心事は、右の関東軍による実行行為を覆すいかなる情報が盛られてるいるかということだった。同氏によれば、ソ連の特務機関による張作霖暗殺は二回行われた。一回目は失敗し、二回目は成功した。しかし、どういうわけか、失敗した一回目の作戦の内容は詳しく語られているのに二回目の実行行為に関しては極めて抽象的にしか述べられていない。何らかの事情があるものと思われる。そこで、論理的には次のどれかが真実であるということになろう。

  1. ソ連の特務機関が行ったという情報そのものがガセネタである場合。例えば、二回目は実行する前に関東軍が同じ事を実行したので、自分たちがやったように報告した、など
  2. プロホロフ氏の情報が正しく、河本以下の証言がすべて作り話である場合
  3. 河本以下の関東軍軍人が丸ごとソ連の特務機関の配下、または影響下にあった場合

今回の情報だけではどの方向に進むのか、予断を許さない。さらに飼料が出てくることが必要だ。張作霖爆殺事件の謎は深まるはがりである。

日本軍にとって張作霖の退場は、満州の不安定を意味した。
張作霖との関係が上手くいかなくなったからといって、
安直な暗殺を選択するメリットが日本にはなかった。
では、なぜ?


プロホロフ氏のインタビューが真実なら
関東軍の特務機関がソ連に操られていたのではないか、という気がするが
裏付けの証拠がない限り、断定はできない。