9.11と愛国心


NYのヤンキースのオーナー・スタインブレナー氏は
昨年末のスマトラ地震で罹災した被災民に
今年の開幕戦で得た利益の中から100万ドルを義捐金として寄付したそうである。
ホームゲームのセブンイニングストレッチで「私を野球場に連れて行って」とともに
ゴッド・ブレス・アメリカ」を歌う球団は、現在ヤンキースだけである。
それは9.11の悲劇を悼む同オーナーの指示による。
同氏は野球のことに熱くなる我が儘な人物として捉えるむきが多いようだが
地位と立場に応じた振る舞いができる一角の人物ではないだろうか。
前例や慣例に囚われず愛国心や人間愛に裏打ちされた行動を躊躇なくできる人間は
リーダーとしての資質があると私は思う。



ここ数日、テレビや新聞は選挙のことばかり報道するが、
ともすれば日本人は4年前のあの日、アメリカのみならなず世界中が驚愕した事件を
忘れ去ってしまったようにすら見える。
あの日、悲しみ、怒り、憎しみ、苦しみ、あらゆる感情が全世界を覆った。
いつまでも負の感情にとらわれたままでいいわけがないが、
あの悲劇を全く顧みようとしないのは、何かが狂っていると私は思う。


我々の住む世界がテロや戦争、災害の恐怖から
解放されるほど明るく平和になったのだろうか。
この国は、毎年台風や地震などの自然災害が絶えず襲い
未だその災禍と戦っている人間も少なくなく
法律的な環境を含め、その備えは万全とは言い難いものがある。
そうした環境下でありながら、自然災害に身体を張って国民を守っている自衛隊の活動を
算盤勘定だけで否定するような人間を国政の場に立候補させ、
やれマドンナだ、やれ刺客だと持ち上げているこの国は大事なものを忘却したというより、
大事なことが何であるかを考える力すら失っているように思える。
少なくても9.11に投票日が設定しているのであれば、候補者はその犠牲の大きさを悼み
テロや拉致に限らずあらゆる場面から日本国民を守り得なかったこと、守り得ないことを考え
一度は有権者にそれを訴えるくらいの見識は持ち合わせて然るべきだろう。
損得勘定だけなら、小学生でもできる。


損得を抜きにして政治を語ることはできないが、
損得だけで語る政治などは政治の名に値せず、
そこかしこで問題になっている談合組合と何ら違いがあると私は思わない。
民主主義即衆愚政治とまでは言わないが、どんな優れた政治形態であれ
結局はそれを運用する人間次第で、善政にも悪政にもなる。
なるほど、今の政治はどこぞの共産主義国家のような悪政ではない。
しかし、国の歴史を学ぼうとせず、国を愛する心を忘れ、国民を愛することを忘れ、
国民の生活を守ることを忘れたかのよう振る舞う人間は為政者として不適ではないか。
私は思う、国や国民を愛する気持ちもなく、それを守ることを否定する政党や人間は
人の上に立つべきでなく日本から出て行くのが相応しい、と。
そうした人間を除外できないのであれば、この国は近い将来立ちゆかなくなるだろう。
いや既にあちらこちらで立ちゆかなくなって来ているではないか。
安全保障と愛国心という視点が欠落した与党とそれを追求できない野党
思考を放棄したマスコミやその煽りにのる国民は
そのツケを払う時のことを覚悟すべきである。




以上、国を愛しつつ、9.11の犠牲者を悼みながら、
この世界の平和と安定に何一つ貢献できない自分を歯痒く思うネットウヨの独り言である。