男子の本懐


男子の本懐

もっとも、この仕事は命がけだ。
すでに、自分は一身を国に捧げる覚悟を定めた。
きみも、君国のため、覚悟を同くしてくれないか。

浜口雄幸


張作霖暗殺事件によって、天皇陛下の信を失った田中義一内閣の後を襲って
元老西園寺公望から内閣首班に推された民政党浜口雄幸
その風貌からライオンと呼ばれたが、その実も獅子と形容するに相応しい漢だった。
浜口は、執行中の予算削減、金本位制復帰のための緊縮財政、国債の発行停止、軍縮、官僚の減俸等
一般国民のみならず与党の中からも反対の声があがる政策を掲げた。
しかし、不人気であろうとなかろうと、選挙で惨敗しようとしまいが
国家再建のため、国のため死ぬのを本望とした男は、怯むことなくそれらに果敢に挑んだ。


城山三郎の「男子の本懐」は、
凶弾に倒れた昭和の宰相浜口雄幸と蔵相井上準之助の二人の物語である。
専門的な経済の話が随所に出てくるので、彼らが目指した目標を完璧に理解したと云いがたいが
それでも、彼らが国家を憂い政治に命賭けで政治に望んだことは容易に理解することができた。
第一次世界大戦の好景気で水ぶくれした経済が冷え込み、不況に国民が喘ぐ中で
金本位制に戻すためさらなる不景気を国民に要求しながら彼らが支持を得たのは
彼の言葉と行動に"誠"があった他ならない。
緊縮財政を断行するなか、聖域に近かった陸軍、海軍の予算も圧縮し
それがために軍部の反発はもとより、
壮士気取りの連中から命を狙われる危機にさらされながらも実行する。



凶弾に撃たれた浜口は、傷も癒えぬうちに内閣首班として国会に登院を決意する。
しかし、回復が思うように進まず登院の先延ばしを周囲は勧めるが

「議会で約束したことは、国民に約束したことだ。
 出るといって出ないのでは、国民をあざむく。
 宰相たるものが嘘をつくというのでは、国民はいったい何を信頼すればいいのか。」

と説き伏せ、命に関わると反対する医師と家族には

「命にかかわるなら、約束を破っていいというのか。
 自分は死んでもいい。議政壇上で死ぬとしても、責任を全うしたい。」

と云い、半死半生の呈で登院の約束を果たす。
そして健康を損ね、起き上がること能わなくなるまで浜口は議会に立ち続けた。
浜口が内閣を去った後は、盟友井上が浜口の路線を引き継ぎ
緊縮予算に反対する軍部との対立を厭わず強硬に緊縮路線を押し進めた。


文字通り命を賭けた二人の政策によって
不景気に喘ぎつつも日本の経済は立ち直りの兆しを見せるが
官僚上がりと叩き上げの確執から内閣の足並みを乱した民政党の安達内相
特定の財閥を儲けさせるがために、金輸出再禁止を唱える与野党の政治家によって、
元老西園寺公望が変心し、政権が「統帥権干犯」発言の犬養毅に渡ってしまい、
結果、二人が築き上げた成果は全て水泡に帰してしまう。
以後、政治は軍部によってかき回されることになるのだが
それは、「統帥権の干犯」なるものを掲げ、政治家自らが政治を貶めた当然の帰結であり
大衆に迎合する民主政治の限界故ではなかっただろうか。


今の政治家にこれほどの・・・と、口幅ったいことははいいたくないし
それが叶わぬものだと知っているが、
政治家とはすべからく、こうであって欲しい思わずにはいられない。