戦艦三笠

発百中の一砲、能く百発一中の敵砲百門に対抗しうるを覚らば、
我等軍人は主として武力を形而上に求めざるべからず。
・・・(中略)
惟ふに武人の一生は連綿不断の戦争にして、時の平戦に由り其の責務に軽重あるの理なし、
事有れば武力を発揮し、事無ければこれを修養し、終始一貫その本分を尽さんのみ。


連合艦隊解散の辞」東郷平八郎

海上自衛隊が、今日を何らしかの記念日にしているかどうかは寡聞にして知らないが、
5月27日は、旧日本海軍海軍記念日である。
それは、連合艦隊が、ロシアバルチック艦隊を破った日本海海戦の輝かしい勝利に由来する。
日露戦争における日本海軍の奮闘は、
司馬遼太郎の「坂の上の雲」によって広く知られており
tacaQ も秋山真之の文章を暗記するほど、何度となく読み返している。



アジアの真実氏は、日本海海戦の記事をエントリーし
「日本は太平洋戦争で負けたことばかりを話すが、
 なぜ大国ロシアに勝利したという輝かしい歴史を忘れているのか」
という言葉を紹介し、歴史を正当に評価することを忘れてしまった日本人に
警鐘を鳴らしておられるが、日本人が歴史に鈍感なのは今に始まったことではない。
敗戦以降、この国の多くは自信を失ったままでいるのではないだうか。
例えば、戦艦三笠の経緯一つみても、それが伺える。


大東亜戦争直後、スクラップにして海中に投棄せよとのソビエトの主張を回避し
海の藻屑になるのは免れた三笠であったが、民間業者に払い下げられ
世界の三大記念艦としては信じられない屈辱にも似た最低の扱いを受けた。
東郷平八郎が使用した長官室は「キャバレートーゴー」となり
秋山真之ら参謀らいた参謀長室はカフェになり
米兵が艦の備品を盗み、艦は見るも無惨な姿になり果てた。
窮状を見かね何とかしようと運動した日本人もいたが、それはごく少数であり
三笠は戦後の少ない時間、悲惨な時期を過ごした。
荒れ果てた三笠に、激怒したのは寧ろ外国人の方が多かった。

 何という日本人は忘恩の国民なのだ。
 戦い敗れると、 ツシマの英雄トーゴーとミカサのことも忘れてしまったのか。
 神聖なるミカサが丸裸となり、
 ダンス・ホールやアメリカ兵相手の映画館になったのを黙ってみているのか。
 何たる日本人は無自覚であることか
イギリス貿易商ジョン・S・ルービン氏


この惨状から三笠を救ったのは、米海軍提督・ニミッツであった。
ニミッツ日本海軍を屠った当事者であるが、東郷平八郎を海軍軍人として尊敬しており、
愛する人物の旗艦三笠が、屑鉄のように扱かわれるを見過ごすことができなかった。
彼は三笠復活に向けて労を厭わず動きその甲斐あって、
復旧運動は軌道にのり戦艦三笠は見事に修復された。



今、戦艦三笠は横須賀の光と水の溢れる公園に彩られ、佇んでいる。
tacaQも横須賀体育大学時代、何度が足を運び、艦の威容を眺めては
遥か歴史の彼方に過ぎ去った日本海海戦に思いを馳せたりしていたが
それが米国人の力によってなされたとは知らなかった。
戦艦三笠は修復されたが、日本人は忘恩の国民から脱却できたのだろうか。


(参考URL)
JOG(128) ニミッツ提督と東郷元帥
記念艦三笠とニミッツ提督


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