剽悍の士

我は官軍我が敵は 天地容れざる朝敵ぞ 
敵の大将たる者は 古今無双の英雄で
これに従うつわものは 共に剽悍決死の士 
鬼神に恥じぬ勇あるも 天の許さぬ反逆を 
起こせし者は昔より 栄しためしあらざるぞ
敵の亡ぶるそれまでは 進めや進め諸共に 
玉散る剣抜き連れて 死する覚悟で進むべし



「抜刀隊」作詞 外山正一

抜刀隊は、西南戦争の際、臨時に編成された警察の隊で
反乱を起こした西郷軍と白兵戦を繰り返し、多数の負傷者を出しながらも
反乱軍の多くの将兵を死傷せしめた。
薩摩憎しの一念で集った旧会津藩士らが抜刀隊の主力ではあったが
恨み骨髄に達したその仇敵から
逆賊であるにも関わらず主将が「古今無双の英雄」と唄われ
兵士が「剽悍決死の士」と讃えられている。
不思議といえば、これほど不思議なことはない。


池宮彰一郎の「島津奔る」を読み終えた。
盗作騒ぎで店頭から消えたこの本をわざわざアマゾンで注文したのは理由がある。
それは、関ヶ原における島津の戦いがどのようなものであったかを知りたかったからだ。
島津の戦いーそれは世界の戦史上類を見ない敵軍正面へ吶喊するという退却戦で
10万対1千という圧倒的に不利な戦力差をもって行われたが
島津軍は数十名の寡兵になりながらも藩主島津義弘を戦場から脱出させるのに成功し
島津の剛勇を世に知らしめた戦いであった。
不可能と思える戦いを可能に成らしめたのは島津義弘の卓抜した指揮も去ることながら
剽悍の士と讃えられた薩摩武士の強さにあったと思う。


「島津奔る」の巻末、関ヶ原を生き抜いた老武士が若衆に戦いを語る場面がある。
老人の数多の戦場を駆け巡った幾千万の思いは言葉とならず、
老いた口からこぼれてくるのは唸り声だけだった、にも関わらず
その呻吟する様に、若衆は声を聞かずとも老武士の想念を強く受け取るという
まさに以心伝心を象徴するような挿話が紹介されている。
薩摩が幕末に多くの有為の人材を排出し得たのは
そうした想念の授受を郷中教育の中に組みいれたからだろう。
また、一揆発生の懸念から布告した念仏停止ではあったが
そうしなくても他力本願の教えは、農民ならいざしらず
薩摩武士には受け入れられることはなかった筈だ。
目的を達するためなら神仏すらも敵に回し鬼神すらおののき、
何世代にわたってでも己らの力で成就することをよとしするような凄まじさが
薩摩の藩風にはあった。
だからこそ、彼らは侍の時代が終わるまで侍であり続けたのだ。






島津奔る〈上〉 (新潮文庫)

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新装版 翔ぶが如く (1) (文春文庫)

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風雲児たち (1) (SPコミックス)

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