日本のいちばん長い日

決定版 日本のいちばん長い日 (文春文庫)

大君の深き恵に浴みし身は 
言い残すへきこと片言もなし
昭和二十年八月十四日夜 陸軍大将惟幾
一死以テ大罪ヲ謝シ奉ル
昭和二十年八月十四日夜 
陸軍大臣 阿南惟幾

安倍首相を始めとする政府閣僚が
一人の例外を除き参拝しないだの、
河野洋平が手前のことを棚に上げて
総理を批判するなど、
話題には何かと事欠かない一日となった。



空疎な理念や言葉が先行し
内実を伴わない為政者や
それを面白おかしく騒ぎ立てる阿呆どもを見ていると
彼らが62年前に全世界を敵にまわし
刀折れ矢尽きるまで戦い、斃れ、
徒手空拳となろうとも時代に抗おうとした民族の末裔とは思えない。


先日なくなった阿久悠は、何年か前に
8月15日を日本が生まれ変わった日と形容したことがあったが
ブラウン管に映し出される決意のない貌と体たらくをみていると
日本民族が滅んだ日と称するのが適切かも知れない。




62年前の昭和二十年夏
ポツダム宣言の受託を巡り対立した政府内のー
それぞれの大臣の言動や首都に駐在していた陸軍将兵の詳細な記録は
日本の終戦が如何に難事であったかを証している。


宣言受諾を了承すれども国体護持を絶対条件として譲らない阿南陸相
国家が滅びる前に終戦を進める米内海相
そして、小人物とみなされていた鈴木首相が
国家存亡の秋に見せた唯一して無二の豪胆さ。
それが昭和天皇の御聖断を導き、静かな終戦を迎える素地となり
戦争を終結せしめた。


終戦は、必然だったし、ポツダム宣言受託にいたる彼らの行動を
過大評価しすぎると批判もあろうが
今のイラク情勢を見るとき、
多少のごたごたがあったとはいえ、日本の終戦が静かで如何に際立ったものか
そこに歴史の不思議を見る思いがする。
神州不滅を信じた彼らだからこそ為せる業だったと個人的には思う。



8月14日夜から、宮城を守る近衛師団の井田中佐、畑中少佐ら若手将校が
森師団長を射殺しクーデターを起こし
宮城及び放送局の占拠し、歴史の針を逆戻しようとしたが
それは陸軍将兵のみならず日本人の魂の叫びではなかっただろうか。
東部軍の不同意、そして阿南の切腹によって
全てが収斂するが、それも不思議といえば不思議である。
歴史の例にならえば、敗戦間際の軍隊にクーデターはつきものであり
軍のみならず国家を巻き込んで滅亡に至った例も多くある。



終戦によって、満州及びカムチャッカ諸島の将兵及び民間人は
ソビエトによって塗炭の苦しみを味わうなど
悲劇もそこから新たに発生したが
日本人として、その英断にも近い受諾の意味を
噛み締めなければならないと思う。
少なくとも彼らは、
自堕落な日本を残すために、命を懸けたのはないのだから。