終戦のローレライ


終戦のローレライ(1) (講談社文庫)

私見である。
訳のわからんミステリー作品群*1もあるが、
高村薫宮部みゆきなど力量ある作家が名を連ねる日本のミステリー界は
それなりのレベルにあるといえる。
ただ、軍事スリラーに関しては限りなく寒い状態*2が長く続いていた。
数多ある歴史シミュレーションや自衛隊のクーデターなどを描いた小説は
作家、読者、編集者の軍事的素養の不足を証明する以外の何物でもなく、
オタクの知識と右翼の誇大妄想を満足させるためだけの
ミステリーと呼ぶに値しない漫画以下の代物でしかなかった。


そうした日本人の軍事的な素養の無さは、四方を海に囲まれた島国という地理的環境と
異民族による侵略や支配とほぼ無縁で国家を営み続けた歴史的特異性に由来するのだが
敗戦のショックから、戦争と国家の本質について
論理的思考を放棄し、無条件な否定を是とした知的怠惰に
拠るところも大きいのではないだろうか。
衰退著しいとはいえ特定の思想を持つ方々が、
未だ言論思想の自由の美名の下に誰も信じていない空虚な理想を語り
それが一部とはいえ信奉されている現状は、この国の懐深さを証す以上に
惰眠を続ける国の指導階級とメディアの怠慢を物語っていると個人的には思う。





しかし、である。
ここに我々はその知的空白と怠惰を一挙に吹き飛ばす
最終兵器ともいうべき作家を得た。
それが福井晴敏である。
Twelve Y.O.」「亡国のイージス」などの日本のミステリーとしては
異例の分野に並々ならぬ力量を示した同作家が
「第2次世界大戦、潜水艦、女」という三題噺にも似た課題を与えられ
映画化を前提に執筆したのが「終戦のローレライ」である。


美しい歌声で船乗りを暗く冷たい水底へ導くドイツライン川の伝説の魔女の名を
冠したドイツの最終兵器PsMB1が、ドイツの敗戦により日本の手に渡り
名をUF-4から伊507へと変えた母艦とともに
波涛険しい太平洋の海で戦う一部始終を描いた物語は、
この作家が、軍事ミステリーという狭隘な分野のみで
評価されるべきでないことを余すことなく証明している。


溢れ出しそうになる激情と葛藤を理性と道徳のたがによって沈め
大君の辺にこそ死なめ、と口にしながら戦った皇軍兵士たちの生死や
人種差別という感情が戦争を支配していた背景の丁寧な書きこみが
この作品に力強いリアリティーを与えるとともに、登場する人物達に濃い陰影をもたらし
ローレライ・システムというフィクションを物語の根幹に置きながらも
限りない熱と力をもった、大人の鑑賞に耐え得る作品として高い完成度を誇っている。

名も知らぬ遠き島より 流れ寄る椰子の実ひとつ
故郷の岸をはなれて 汝はそも波に幾月

作中何度も引用され、登場人物が唄う「椰子の実」は
国同士の戦争に巻きこまれ、あてどもなくさまよう国民を暗喩し
国家が国民を守るために存在でありながら、
国民を押しつぶそうしている矛盾を象徴している。
だが、その一方で、人が人として生きるためには、国家や共同体が必要であり
それをどんな理屈を並べたてて否定したところで
人は国家という大海に浮かぶ椰子の実以上の存在になり得ないという現実に立ち
流される運命と知りながらも、その行き着く先に対してどう立ち向かうかに
人としての価値が問われ、人生の意味があることをこの作品は諭している。


ミステリー作品の感想にしては、やや感傷的で頓狂になった感があるが
それも、心の闇を持つ少年の魂の救済という「亡国のイージス」同様の旋律を
描ききったこの作家の類稀なる力量の故だろう。

*1:新ミステリーとかユーモアミステリーとかのこと。tacaQは、独断と偏執的視野狭窄により、これをミステリーとは認めていない。

*2:佐々木譲の第2次世界大戦三部作などの例外あり。