争いという文字が辞書から消え去るその日まで


1年が経った。


世界中が驚愕した。
後退期に入っていたアメリカの景気は悪化した。
パキスタン経済制裁が解除された。
アメリカは、タリバンを攻撃した。
アフガンでは空襲で多くの人間が死んだ。
オサマ・ビン・ラディンは姿を消した。

これがテロを実行した人間とそれを示唆した人間が望んだ世界なのだろうか。


ビンラディンの行為に比べれば枝葉末節の類だが
パールハーバー」や「カミカゼ」という単語が頻繁に使われるようになり
民族としての誇りを傷つけられていることに、誰も気を止めはしない。
戦後民主主義にどっぷり浸り、それの自覚すらない者には、
日本人の尊厳に関わることとは夢にも思わないだろう。
それについて外務省は抗議なり声明を出しということは、寡聞にして知らない。
テロの際、邦人の安全確認より先に逃げ出す外務省職員に
それを期待するのは酷というものかも知れない。
国家溶解の態と言っていいが、これもまた一つの末梢に過ぎない。



話を本流に戻して
1年前は、テロに対して断固として戦うべきだと考えていた。
今でもその考えは間違いではなかったと思う。
しかし、何処から何処までがテロなのだろうか。
アメリカの選択している行動が正しいのか、
もはやそれを断言することは私にはできない。
多くの人命が失われたこの一年、人類最悪の年と言わないまでも
目を覆いたくなる一年だったと思う。


私は、祈る
三つのために
死んだ人間の鎮魂のために
生きている世界の人間の平安のために
そして自分のために


南無・・・

われらが来たり行ったりするこの世の中、
それはおしまいもなし、はじめもなかった。
答えようとて誰にはっきり答えられよう
われらはどこから来てどこへ行くのやら?
ルバイヤート」 オマル・ハイヤーム