外交敗戦

外交敗戦―130億ドルは砂に消えた (新潮文庫)

「君たちだけは信じていたんだ。
 君たちだけはトシキ・カイフを首相に戴くような民族じゃないって」
「おい、聞き捨てならんな」
「サムライ・ノングラータ」原作:矢作俊彦+谷口ジロー

1991年イラクによるクェート侵攻を端に発した湾岸危機。
世界を震撼させたフセインの行動は、
中東から遠く離れた日本を巻き込む。
それはあたかも大海の嵐に遭遇した小舟のように日本を揺さぶる。
140兆円も巨大な協力金を国民一人あたり1万円までの増税までして賄い
多国籍軍に供出して湾岸戦争を支えながら
日本は感謝されるどころか侮蔑や嘲笑を伴う厳しい評価を受けた。
日本の評価が何故地に墜ちたのか、
その過程を当時NHKの記者であった作者が
多くの取材を基に明らかにした渾身のノンフィクション・ドキュメント。



湾岸危機勃発当時、アメリカはサウジアラビア防衛で
厳しい局面に立たされていた。
アラブ諸国はアラブの問題はアラブで解決するとばかりに
アメリカの一連の動きを牽制していた。
しかし、サウジアラビアに国土防衛を完遂能力はなく
アラブはフセインに飲み込まれようとしていた。


サウジアラビアアメリカ軍の駐留を認めるか、
イラクの旧敵であったイランがイラク側に回るか、
仮にイラクイスラエルと戦端を開けば
アラブ諸国フセインの汎アラブ連合に与することも有り得たことから
全ての情勢は混沌としており、先行きは全くの不透明であった。
国際的なイラク非難の声を背景に事態収集に乗り出したアメリカだが
大国の能力をしてもその成功を確約することはできなかった。


当時、日本の憲法上の制約を理解していたアメリカ政府は
外交ルートを通じて人員や武器弾薬の運搬を日本政府に要求していた。
いわゆる戦争における兵站(後方)業務なら
憲法に抵触しないだろうとしたアメリカの"好意"である。
しかし、外務省の担当者は"自衛隊嫌い"で
最初から支援策に自衛隊を組み込むことを除外し
民間の船舶だけを用いることを狙いとして運輸省に打診する。
米国の意図を理解することもなくブリーフィングだけを受けた運輸省
戦争関連以外の物資を民間の船で運ぶ支援策を進めるが
当然のことながら、それはアメリカの望むものではなかった。
アメリカは代替案としていくつか日本に提示するが
どれもこれも日本は受け入れることができなかった。
日本の一連のアクションは、アメリカ側に日本協力の意志なしと解釈され、
ワシントンにおいて知日派は沈黙せざるを得ない状況が生まれた。


以後、政権内部に日本石油ただ乗り論がクビをもたげ、
日本に対する批判の声があがるようになった。
折も悪く与党自民党少数与党で国会運営をせねばならず
単独で法案を通す力がなく、外務省が立案した国際平和協力法案は廃案となり、
湾岸危機における米軍と米国の活動をサポートすることができなくなった。
こうした一連の日本の動きに、見切りを付けたのは当時のベーカー国務長官
以後彼を中心としたワシントンの態度は
同盟国のそれとは思えないようなものになっていく。


冷え始めた日米関係を敏感に察知した外務省は
落ち始めた日本の評価を回復させようと財政支援策を発表するが
大蔵省がクレームをつけて事実上の白紙撤回させてしまう。
この一件でアメリカは態度を決定的に硬化させて
アメリカは日本から取れるだけ金を取るべきだというロジックで
日本と交渉するようになる。
それはあたかももう一つの湾岸戦争だったと作者は述べている。


結局は当時の橋本蔵相が90億ドルという莫大な協力金の支出を
約束して一段落するのだが
外務省担当者をその政策決定の場に立ち会わせなかったことから
約束の不備や盲点を衝かれて
アメリカ以外の国からも協力金の提供を求められたり
さらには円建てによる円高差益分まで追加して
結局は140兆円を振り込む羽目になった。
クエートのアメリカ市民を命懸けで守った大使館員や
アメリカが国交のないイランで、イラン中立の裏付けを取るために奔走し
情報を提供し、戦争遂行に大きな貢献があったにもかかわらず
アメリカにおける日本の評価は最低であった。



財政を武器に各省庁を必要以上に統制する旧大蔵省とその官僚。
外交機密をたてに他省に面倒をおしつけようとする外務省とその官僚。
国会運営のキャスティングボードを握ったことに酔い
非軍事以外の貢献をすべきだなどと愚にも付かない戯れ言を述べて
米国の嘲笑招いた公明党
問題の本質を見誤り、世論をミスリードしたマスコミ。
危機に際して、とるべきリーダーシップを示せずに
ただ押し寄せる情報とアメリカのいらだちに翻弄され
右往左往ばかりしていた自民党と海部首相。


この国の過剰な軍隊アレルギーがもたらした悲劇と言えばそれまでだが
よその国の国民が死にかけているにもかかわらず理想論や建前論に終始し
物事の本質を理解できない一連の人間の行動は腹立たしいの同時に
とても理解できるものではない。
そして何より失敗した者の多くが何の反省もせずにのうのうと今でも
椅子に座って国政や行政を担っているこの国はいったいどうなっているのだろう。