1月17日という日

「死なせてくれ。」
「あかん、死んだらあかん。」
「家族もみんな地震で死んでしもうて、生きていても仕方ないんや。」
「家族が死んだのはおじちゃんだけやない。そんなの理由ならへん。」
「一人だけ生きていても仕方あらへん。
 ボン、頼む死なせてくれ。」
「だったら、死んだ人間の分まで生き伸びなきゃあかんと違うか!」

地震で身よりを全て失い自殺しようとした老人を
見つけた中学生が交番まで連れていったという事件に基づき
浅田次郎は、交わされたであろう会話を想像でエッセイに綴っていた。



6年前の1月17日、阪神淡路大震災が発生した。
奇しくも今日とあるメル友から二年前の台湾大地震について触れたメールが届いた。
当時、台湾は李登輝が総統として統治しており
被災者に対して迅速な救済活動が行われた。
6年前に阪神淡路大震災の時に、そのような為政者がいればとつくづく思う。
今更いっても、詮無きことだか。


10年前の1月17日湾岸戦争が起こったその時、
愚にも付かない議論ばかりで世界中の失笑を買ってから、
永田町の人間とそれを選ぶ我々はどれだけ進歩しただろうか。
老人一人を救う中学生ほどの勇気を持ち合わせていないであろう無惨な代議士の姿が
今日は特に苦々しく見える。
私は、二度と暗愚にして愚鈍な者が為政者になることを許すつもりはない。
それが、亡くなられた人間に対する僅かばかりの慰めにならないとしても。