ピート・キャロルへの手紙5


親愛なるシーホークス、ピート・キャロル監督


以前お世話になった、ブライアン・オルソンです。
ご無沙汰して申し訳ありません


監督の御活躍は、いつもTVを通じて
拝見しております。
それにしても今年のスーパーボウルは、残念でした。
二連覇まであと僅かだっただけに
監督の胸中にもおだやかならざるものが
あったと想像します。


最後のプレイ・コールは、
結果的に失敗でしたが、
あのプレイが成功さえしていれば、
監督は賞賛でむかえられていたことでしょう。


結果のみで評価されるのは
プロチームの常ですが
成功も失敗も紙一重の勝負において
確実に成功が確約されたプレイなど
あろう筈もなく、
成功が分からないからこそ、
人は努力するものだと、理解しております。
監督が来年のスーパーボウル・ウィナーに
返り咲かれることをねがうばかりです。


さて、以前にお世話になった
私どもの長男ジェイクの件ですが
今秋から、USCに進学することになりました。
入部を許可されるか、まだ分かりませんが
彼はフットボールに挑戦することを
決めています。


仮に彼が入部できたとしても
彼の出場を保証するものはなにもありません。
それでも彼は、トロージャンズの一員に
なることを希望しております。


立派に育ってくれたことを
有り難く思うとともに
キャロル監督の図らいに
感謝せずにはいられません。
あの日、監督が彼の心に火を
灯していただいたことが
今日の彼を支えています。


何と御礼を申し上げればいいのか
言葉に尽くせぬ気持ちで
いっぱいです。


とりとめのない手紙となり
貴重なお時間を
費やして申し訳ありませんでしたが
監督のお力添えで
息子が逞しく育ったことを
お知らせいたします。



ブライアン・オルソン

ピート・キャロルへの手紙4


「はじめまして、ジェイク・オルソンです。
トロージャンズのファンです。」


トロージャンズの練習場に立った12歳の少年は、
アメフトの防具を装着した青年らを前に
精一杯の大きな声をだした。
練習前、笑みなど決してみせないことを
躾けられた戦士達ではあるが、
12歳のファンを前に
彼らは優しげな表情を浮かべていた。
その眼差しは、親しい家族を迎えるようだった。


「ようこそ、ジェイク。
今日のトロージャンズは君のチームだ」
ピートの言葉にジェイクは驚きながらも、
顔いっぱいに喜びの色を表した。



彼は2時間あまりの練習のあいだ
選手と一緒に走り、ボールを投げ、
タックルバックにぶつかった。


ピートは、ジェイクを招待することで
トロージャンズの練習プランを
大きく変更せざるを得なかった。
1時間の練習の準備に
コーチは10時間を必要とするとも言われている。
しかし、彼は喜びを持って特別な練習計画を作り、
ジェイクを練習に参加させた。



ジェイクの心に灯をともす。
その命題は、ピートにとって
パシフィック12でチャンピオンになること、
ローズ・ボウルの勝者になることと
等しい重みを持っていた。



「僕は、今日の練習に参加できたことを
一生忘れない。トロージャンズの皆さん
ありがとう。
僕も選手の皆さんのように勇敢な人間を
目指して頑張ります。」
ピートは、ジェイクの言葉から
彼の力になれたことに満足を覚えた。



ジェイクの言葉をきいていたシンディは、
充分に勇敢な息子であると思い、
涙が零れそうになった。
間もなく光を失うであるジェイクは
周りの人間を悲しまさせないように
必要以上に明るく振る舞っていることを
彼女は知っていた。
シンディは、息子に気付かれるまえに
涙を拭い、笑顔をうかべた。
息子の記憶に悲しい顔を残してはいけない。




「いいかい、ジェイク。手術が終わったら、
ここに戻って来るんだ、必ずだ」
ピートは、ジェイクに語りかけた。
「分かった。必ず戻ってくるよ」
ジェイクは、力いっぱいの気持ちをこめて応えた。

ピート・キャロルへの手紙3


6月のある日、ピート・キャロルは
チーム・ミーティングの場で
選手を前に、ブライアン・オルソンの手紙を
読み上げた。


オルソン親子の存在を知った選手らは
口々に述べた。
「監督、お願いします、
どうかそのファンの親子を招待して下さい」と。


ピート・キャロルは規律に厳格であり、
これまで特別な場合を除き、
練習を公開していなかった。


ピートは、眼を閉じて
選手達の願いを深く考えた。
十数秒の沈黙の後、口を開いた。
「諸君、これは監督である私からの願いでもある」


「これから、険しい人生の戦いに立ち向かう少年の心に
灯をともして欲しい。」


そして、ピートは言葉を続けた。
ローズ・ボウルでもない、ましてや公式戦でもない、
ただの練習に、最高の覚悟を持って臨んでもらいたい、と。


そして、一週間後、トロージャンズの練習場に
ジェイク・オルソンが、父親を伴って訪れた。

ピート・キャロルへの手紙2


親愛なるUSCトロージャンズ、ピーター・キャロル監督


私は、USC出身にして、
フットボールチーム・トロージャンズのファン、
ブライアン・オルソンと申します。


今期のリーグ戦パシフィック12における
キャロル監督の采配を楽しみにしております。


さて不躾ながら、
私の12歳の息子、ジェイク・オルソンのことで
一つお願いがあります。


我が息子は、
将来、南カリフォルニア大学(USC)で
プレイすることを希望していますが
その機会を掴むことが
難しい状況にあります。


ジェイクは、網膜芽細胞腫によって
1か月後に、両の目から光を失います。
その息子は、トロージャンズのプレイを
目に焼き付けて、手術に臨みたいと
申しております。


一瞬でも構わないので
練習の様子が見える場所への
立ち入りを許可していただけないでしょうか。


突然の申し出に
さぞ驚かれていることだと思います。
監督は、トロージャンズを指揮するために
LAに来られたのであって
ファンサービスのためでないことは
重々承知しております。


また、私の息子の願いは
断られて当然だとおもいます。
特別な待遇を受けるいわれを
私は持ち合わせておりません。



ただ、私は、息子が
目が見えないことを理由に
結果を怖れて挑戦しない人間に
なって欲しくないのです。
私は彼とこの先の人生を
切り開いていこうと思います。
一通の手紙で、我々の人生が変わるとは
思っていませんが、
私達親子の最初の挑戦として
この手紙をしたためした。




お忙しい監督を煩わせることを
申し訳なく、また心苦しく思いますが
私どもの事情に免じて
どうか御容赦ください。


最後になりますが、
トロージャンズの今期の活躍を
ご祈念しております。


ブライアン・オルソン

ピート・キャロルへの手紙


父ブライアンは息子ジェイクに残酷な知らせを
告げなければならなかった。
網膜芽細胞腫
その病気は、息子の残った右目を
奪うことを意味した。


すでに息子は生後10ヶ月で左目を
網膜芽細胞腫』で摘出していた。
ジェイクは、わずか12歳で両目から光を
失うのだ。


愛する息子に、
フットボールが好きで
将来、南カリフォルニア大学(USC)で
プレイすることを
夢見ている息子に、
「右眼を手術で取らなければならない」
とブライアンは告げた。


妻シンディは、自分自身をせめた。
「私が悪いんだ、私のせいだ」と。
夫は、妻にやさしく言った。
「誰も悪くはない、ジェイクも、母である君も、
誰も悪くない」
誰かのせいにできれば
いくらかは気持ちが軽くなるかもしれない。
しかし、それでジェイクの目が治る訳ではない、
大切なことは、人生を続けていくことだ。
息子の人生に希望を灯をともすことが
何よりも必要だ。


全てを聞き終えたあと、ジェイクは言った
「最後に、USCトロージャンズの練習を見たい」

めぐみを助けて



【iRONNA発】拉致問題 解決を「トランプ任せ」にしていいのか 荒木和博(3/4ページ) - 産経ニュース
【iRONNA発】
拉致問題 解決を「トランプ任せ」にしていいのか 荒木和博

 本来、トランプ大統領拉致被害者家族を会わせるというのは恥ずかしいことだ。「拉致被害者の救出は日本がやります。米国も協力してください」と言うべきである。


東京メトロ新宿駅構内で
北朝鮮による拉致被害者横田めぐみさんの写真展が
開かれていた。


家族旅行や中学校入学を記念した写真が
二十点前後、壁に展示されていた。
何事もなければ、これらの写真は
横田さん家族だけで共有されていただろう。


だが、これらの写真は、
彼女の両親のメッセージを附して
公開されている。


「めぐみをかえして」


四十年以上の時間を越えて
待ち続ける被害者家族の
切なる願いが、なぜ実現できないのか。
人として、親として、ごく当たり前の
願いでしかない。


いったい、この願いを阻むものは何なのか。
無力のかいなといえども
こぶしを固めずにはいられない。

新リーグ

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171019-00000058-jij-spo

20年度以降の新リーグ検討=地域密着型の運営へ―ラグビー

日本ラグビー協会が、ワールドカップ(W杯)日本大会が開催される2019年の翌年に当たる20年度以降のトップリーグについて、各チームが地域に根ざして本拠地スタジアムを持つ形の新リーグに衣替えするプランを検討していることが19日、明らかになった。

 日本協会は、チームがチケット販売などで独立採算が取れる仕組みも考えているという。関係者は「新リーグへの移行が決まっているわけではないが、以前から検討している」と話した。

 トップリーグは03年にスタート。実質的には実業団リーグとして運営してきたが、観客数が伸び悩んでいる。リーグの試合形式もW杯などの日程に伴ってたびたび変更し、ファンへの配慮に欠けるとの指摘もある。


地域密着型とは、聞こえはいいが、
東京以外でハコが用意できるのか、
少し疑問である。


ラグビー専用競技場といえば
関東なら熊谷がまっ先に思い浮かぶが
アクセスに難があるし、
集客は簡単ではない。


このご時世、簡単にハコを
作ってくれる自治体など
あろうはずもなく
一体どうするつもりなのだろう。


ハコ以外にも問題も山積みであるが、
とりあえずは、話題になる仕掛けを
つくらないと、と思う。