風に立つライオン


シンガーソングライターさだまさしの小説で
アフリカ、震災後の石巻を主な舞台とした
命を紡ぐ壮大な物語。


さだは、長年、アフリカで医療活動を行ってきた
医師柴田紘一郎氏をモチーフに
楽曲「風に立つライオン」を1988年に発表していたが
大沢かたおから同曲の映像化のための原作小説を
依頼され、本作を書きおろした、


長崎の大学からアフリカに
派遣された医師・島田航一郎は
多くの患者を診察するが、
ある日傷ついた少年兵・ンドゥングと出会う。
家族を殺され、自身を掠われ、麻薬を打たれ、
銃を持たされ、弾よけにされるという
短い半生に比して過酷で
重すぎる体験を持つンドゥングは
心を閉ざしていたが、
やがて航一郎に心を開き
殺めた人間以上の数の人を
救うという志を抱くようになる。


不遇な環境に負けないように
自分を鼓舞するために
「がんばれ」と叫ぶシーンが
作中にたびたび挿入されているのだが
その言葉に込められている多くの思いが、
心の奥底まて突き刺さった。


彼は小説「精霊流し」の発表以降、
心に響く多くの物語を紡いでいる。
本作は過去の作品以上に魂が揺さぶられた。
フィクションが交えられているとは分かっていても
涙をおさえることができなかった。


「作家」さだまさしの本領発揮の作品である。

陽だまりの彼女


陽だまりの彼女 (新潮文庫)

陽だまりの彼女 (新潮文庫)


中学校の時に虐められていた女の子を
庇ったことから
クラスで浮いた存在となった主人公。
鉄道好きでなんとなく鉄道に
関係する広告代理店に就職し
クライアントに赴くと
中学三年で転校して以来会っていなかった
彼女と出会う。
"偶然"の再会を機に二人が通わせるのだが
彼女には人知れない秘密があった。


ハッピーエンドというには
どこかしっくりこないオチではあるが
十分にほっこりしてしまうので
やはりハッピーエンドなのだろう。
西島大介のカバーイラストと合わせ技で一本。

天切り松闇がたり ライムライト

ライムライト 【limelight】

1 石灰片を酸水素炎で熱して強い白色光を出す装置。一九世紀後半,西欧の劇場で舞台照明に使われた。
2 名声。評判。

この小説を読むまで
ライムライトが照明装置であることを
知らなかった。


さて、浅田次郎の「天切り松闇がたり」シリーズ第五作
あちこちの留置所に出入りしては自身の思い出噺を
吹きまくる稀代の盗人の語りが
軍人が幅を利かせなにやら時代が
きな臭くなってきた昭和の世相を背景に
冴えまくる。


義理を通し、人情を忘れない義賊など
講談の中でしか存在しないと
誰もが承知しているが、
権力に媚びず、それぞれの筋を通す生き方は
生活に倦んだ人間にとって
目映く写り、つい喝采を送りたくなってしまう。


表題作のライムライトは、
チャップリンの代表作と掛けて
彼との盗人らのあり得ない邂逅を綴った話であり
ひさびさに、彼らしい作品にまとまっていたと思う。

【正論】「日本精神」を体現した蔡焜燦氏逝く 「大和魂」でセイコー電子台湾邦人をグローバル企業に育て上げた氏の精神に学べ 拓殖大学学事顧問・渡辺利夫(4/4ページ) - 産経ニュース

蔡氏はこう言う。
今日の台湾の近代化の基盤となったものが
日本統治時代の50年にあったことは、
心ある台湾人なら全てが知っている。
知らないのは戦後の偏狭な価値観に
蝕(むしば)まれた日本人ではないのか。
日本は台湾に謝罪する必要などない。
謝罪すべきは親日・台湾を切り捨てた戦後日本の
外交姿勢の一点のみにある。
謝罪などではなく隣の巨大な覇権国家と恒常的に
闘っている台湾を応援するというのが、
日本人に固有な「侠」の精神ではないのか。

辞書によると「侠」とは
義にあつく、
強きをくじき弱きを助ける人。
とある。

男児に生まれたからには
かくありたいものだが
知らず知らず人情より義理、
義理よりは損得で
動いている自分がある。
気力に欠く己を憾みつつ
偉大なる先人に深く深謝す。

漢字

心のない愛 子を見ない親 簡体字が映すもの

漢字の簡体化とともに、伝統文化は廃れ、
道徳が衰退し、社会は乱れてしまった。
皮肉なことに、現在、中国の世相はまさに簡体字の通りである。


 例えば、親は「亲」に変わり、「見」が無くなった。
現在の社会では、親の面倒を見ない子供が多くなった。


 愛は「爱」に変わり、「心」を無くした。
つまり愛に心がこもらず、うわべのだけの愛となったのである。


 聴は「听」に変わり、心もなければ、耳も無くなった。
人の話を聴く耳と心はなく、人に何かを言われたら、
「口」と「斧」(斤)で対抗する。


 恥は「耻」に変わり、心が恥を感じず、耳で止まってしまい、
結局恥知らずになってしまった。

1950年代以降、中国では簡体字を使用している。
何千年と続いた漢字の文化を壊す行為だと
非難するむきもあるが、
この件に関しては、日本人もあまり偉そうなことは言えない。
なぜなら、日本も戦後に、新字体を導入して
漢字が意味する本来の形象を多く損なっているからだ。


リンク先の記事は、現中国政府に批判的な
在外中国人のためのメディア大紀元
掲載した漢字の本家ともいえる中国人の
簡体字の普及を嘆く内容の文章である。


一国二制度といいながら、
政治的に中国に飲み込まれそうな香港では
簡体字を忌避する傾向が強いようだ。

香港テレビ番組で簡体字の字幕 苦情殺到 WEDGE Infinity(ウェッジ)

香港の人たちにとって、自分たちのアイデンティティーの根幹をなすものとして中国語の使い方ほど大事なものはないかもしれない。香港では広東語を話し、繁体字を使うのだ。


だからこそ、ゴールデンタイムのニュース番組が簡体字を使い始めたことが、これほどの反発を買ったのだ。たとえ番組が広東語ではない中国語の放送だったとしても。


民主化運動派のクローディア・モー議員は、TVBに抗議文を送った。テレビ局は何の規則違反も冒していないと認めた上で、簡体字字幕の導入は明らかに、香港を中国本土の一都市に変えてしまおうという計画の一環だと指摘する。


「町を殺したければ、まず真っ先にするのは、その言葉を殺すこと」と議員は私に語った。

さて、おまけに、再び大紀元の記事。




漢字の創造者 蒼頡(そうけつ)の物語

老人は言った。
「あなたが造った『馬』、『驢』、『騾』の字は
すべて4本の足があるのに、
なぜ「牛」の字は4本の足がなく、
1本の尾だけにしたのでしょうか」


 蒼頡は心の中で少し慌てた。
「自分は『魚』の字を造る時に『牛』の形に書いて、
『牛』の字を造る時に『魚』の形を書いたが、
みんなに教える時に、
うっかり逆に教えてしまったのだ」と反省した。


 老人は更に聞いた。
「あなたが造った『重』の字は、
『千』と『里』を合わせ、
遠くに出るという意味にするべきですが、
人の重さを表す『重』の字として教えています。
その逆に、二つの山を重ねてできた『出』の字は、
重い意味を表すべきですが、
遠方に出かける意味の『出』として教えています。

たたが文字、されど文字
その文字は込められた思いは
深く、そして重い。

悲劇の発動機「誉」


大東亜戦争直前、
航空機メーカーの中島は、
若手技師・中川良一に新エンジンの設計を委ねる。
空冷小型エンジンで高オクタン価の燃料を使い
出力二千馬力を狙った野心的な試みは
一年足らずで試作品を完成させ
上々の試験結果を収める。


「誉」と命名されたエンジンは、
陸、海軍の主要な航空機に搭載され
国家の命運を賭けた戦いへ投入された。
空冷小型エンジンで二千馬力超の性能は
欧米のメーカーのものすら凌駕していたが
しかし、実戦でその性能を発揮することは
殆どなかった。


燃料不足による低オクタン価ガソリン、
エンジンの量産を支える各メーカーの技術不足から
誉は、カタログの出力に遠く及ばず
また、故障を多発させ、
部隊の整備兵を困惑させ続けた。


元エンジンメーカー勤務の経験を持つ
前間孝則氏は、誉が何故失敗したか、
その理由を丁寧に探り
生産現場を知らない技術者の経験と知識不足、
海軍や陸軍のずさんな計画などを
指摘して、失敗すべく失敗した事実を
明らかにしている。


欧米のメーカーが時間をかけて
少数のエンジンを改良して、
大量生産、高出力化を
実現させたのに対して
多数の試作機、試作エンジンをつくって
少ない人的資源を浪費した日本。
首脳部の無策が
戦争を戦った者達の努力を
無に帰したともいえる事実に
救われない思いがした。


話は、それるが1964年から
始まったホンダのF1参戦は
惨憺たる結果に終わった。
エンジンの出力は最高でありながら
速いマシンではなかった。
それは、整備性や車体とのバランス、
マシンの操作性といった総合的な戦闘力を
無視した結果でもあり、
エンジンのパワーだけを
追い続けた当然の帰結であった。
当時のホンダに、戦時中、
戦闘機のエンジンを
扱っていた技術者がいたことを
考えれば、日本人の性(さが)を
憾みに思う。