24時間戦えますか

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「なにかあったらどうするんだ症候群」に罹った社会では未来は予測できることを前提としているために、何か起きた時にはどうしてきちんと予測しておかなかったのかと批判されることになります。だから何が起きるかを事前に予測して対処しなければなりません。この症候群に罹った人は、暗黙の前提として物事を未来からの逆算で考えています。

diamond.jp


労働賃金が韓国よりも安くなったという
記事をみかけた。
最近の円安の影響かと思いきや
記事の日付は1年前ー、
円の値段に関わらず
日本が韓国の下にあったという事実に
少なくない衝撃を受けた。
どうして日本はここまで落ちぶれたのか?


落ちぶれる前の日本には
当然のことながら活力があった。
その活力の源となっていたのは、
世界でナンバーワンを競っていた企業であった。

近頃、趣味の延長でホンダやソニー
シャープやビジコンの歴史を調べたが
戦後の日本において、一時代を築いた企業には
面白い共通点が存在した。
それは官僚の指導に逆らって、
製品開発を貫き、その至らなさを
白日に晒したという経験を有することである。

半導体に挑戦した東京通信時代のソニーを嘲り、
四輪車を生産するホンダに二輪だけ作れと規制をかけ
コンピューター(計算機)開発に乗り出したシャープを侮り
世界最初のマイクロプロセッサを作ったビジコンに
無駄な外貨を持ち出すくらいなら
潰れても構わないと傲慢な態度で邪魔をしたのは
日本のベスト&ブライトである官製大学出身の官僚らであった。
しかし、官吏らの妨害乃至非協力をのり越えて
各々の会社は成功をつかみ、
日本を明るく、面白くする。

つまり、賢しい頭で計算した官僚の作文を
頭数にも入っていなかった企業家たちが
思惑ごとひっくり返したから、
昭和の終わりから平成の初めにかけて
日本は輝いていたと個人的に感じる。

決して、政治が良かったから、
官僚が優秀だったから
日本が強かったわけではない。
平和という幸運にも恵まれたが
失敗をものともしない挑戦者達がいたから
日本は繁栄したのである。

挑戦者の後継たちは何に挑んのだろうか?
前任者の成功を誉めちぎり
それを踏襲することで
よしとしてこなかっただろうか。
失敗を恐れる官僚のように
ふるまってこなかっただろうか。

失敗を恐れることは必ずしも悪いことではないが
失敗を恐れて、何もしないことは悪である。
失敗しても、立ち上がればいい、
たったそれだけのことができない国に
何故なってしまったのだろう。

何かあったらどうするー
そこに日本の凋落を招いた病根が
潜んでいるように思えてならない。

永田町を始め、賢しい人間が多すぎて
なにやら社会全体が
お節介お母さん化してしまったような
動きにくさを感じる。