ソウちゃんとタケちゃんの夢3

「ソウちゃん、世界を目指そうよ」オジキの言葉を続けた。
「……」オヤジは目を瞑った。
「会社にはでっかい夢が必要なんだよ。うちの会社には技術もある、日本に貢献するというソウちゃんが掲げたぶっとい芯もある。あとは大きな目標があれば、会社はまだまだ伸びる。」
「……」オヤジは黙ったままだった。
「あんたと5年やってきた。その俺がいう、あんたの器は大きい、あんたに合わせた会社を作りあげるから世界を目指してくれ」オジキの言葉にかみしめたあとオヤジは「……わかった、タケちゃん世界一の会社を作ってくれ」といった。

自分で製作した自動車で、全世界の自動車競走の覇者となる……同じ敗戦国であるドイツの隆々たる復興の姿を見るにつけ、わが社の此の難事業を是非完遂しなければならない。
日本の機械工業の真価を問い、此れを全世界に誇示するまでにしなければならない。わが社の使命は日本産業界の啓蒙にある。ここに決意を披歴し、TTレースに出場、優勝するため精魂を傾けて創意工夫に努力することを諸君とともに誓う。右宣言する。

 オヤジは、オジキに世界一の会社を作ってくれと頼んだ1週間後、社内と関連会社に世界を目指すこと宣言文を発表した。戦争特需の終わりとともに勢いだけあった会社が日本の産業界からポツポツと消えていた時期、ウチの会社もそうなると思う人間も少なからずいた。事実、従業員、関連会社、メインバンクのどれか一つでもそっぽを向けば、そうなっていてもおかしくはなかった。そんな会社から唐突に飛びした世界への宣言は、はた目には悲壮な覚悟というよりも滑稽な三文芝居に映ったことだろう。しかし、世界一を目指すという目標は、現場で働く従業員の肌に浸透し、長い時間をかけて会社の血肉となった。ただ、それがわかるには20年以上の時間を必要とした。

 昭和29年3月末、怒涛の決算期をどうにか凌いだ後、オジキはオヤジをイギリスへ送り出した。オヤジのイギリス遠征は2か月に及んだ。5月に開かれた株主総会は社長不在のまま迎えた。オジキに言わせれば、社長が外遊するくらいの余裕があれば倒産するわけがないと、株主や関係者が勝手に思い込んでくれることを期待して送り出したというものだったが、嘘の下手なオヤジが馬鹿正直な発言をして余計な仕事を増やさないための段取りだったと穿った見方をした古参の社員もいた。案の定、株主総会では厳しい質問が飛び交い、解任動議が採決されてもおかしくない不穏な雰囲気が流れることもあったが、過剰ともいえた設備投資に対する効果は遅くとも来年のアタマには現れてアンバランスな収支も改善できる見込みであることをオジキが粘り強く丁寧に説明して、メインバンクがオジキの計画を支持したことでなんとか持ちこたえることができたらしい。最後は、2年後のマン島TT出場を宣言し、会社の更なる前進を約束して締めたということだった。倒産の何歩か手前にいった会社が世界進出など、株主にしてみれば正気の沙汰とは思えなかっただろう。とりあえず自信に満ち溢れた言動、世間ではハッタリともいう高等技能を駆使してオジキは総会を乗り切った。ただし、そのあと疲労困憊で1週間ほど起き上がれなくなった。決算期前からのこの期間、相当の心労がオジキにかかっていたことは誰の目にも明らかだった。

 社内のあらゆる部署に神出鬼没しては火を吐くオジキと現場でいつもカミナリを落とすオヤジの二人がいない会社は、静かで仕事に集中するにはうってつけの状況だったが、ほとんどの社員はどこかぎごちなく、仕事にさほど身が入っていなかった。騒がしすぎるのもこまりものだが緊張感を欠いた業務も効率が上がらないことを社員は学んだ。だがそうした状態も長くは続かなかった。オヤジ帰国するとの電報がロンドンから届いたのだ。6月に入るとオジキも顔を出すようになり、会社の雰囲気がビリっと締まり、以前のように社内のあちこちで持論をまくしたて活発に議論する社員が出没し、この会社らしい喧噪な空気が戻ってきた。オヤジとオジキのいない会社は、普通の会社みたいで居心地が悪かったという社員は少数派ではなかったらしい。

 オヤジは、大量のバイク部品を土産がわりに持ちかえった。空港でオヤジを出迎えたオジキは「もう大丈夫だ」と告げた。オジキの言葉にホッとしたような顔したオヤジは「そうか」といって、オジキにネジを渡した。
「なんだ、これ?」それはオジキがみたことのない、日本で使用されているものとは違っていた。
「イギリスの工場に落ちていたネジだ。十字に溝が切ってあるだろう。溝をそうやって切っておいて機械で締める。……世界との差は大きいなぁ……」自信家のオヤジとは思えないほど控え目で謙虚な言葉だった。
「そうか」とオジキは答えた。「でも、戦うんだろ」
「当たり前さ」オヤジは、かっかっと笑った。