ソウちゃんとタケちゃんの夢5

「ヨシさん、どうします?」会議に陪席していた後輩のスタッフが尋ねた。
「アニキの気の変わるのを待っていたら、シーズンが終わる。とりあえず設計を進めて試作品を作っておこう。テストや実車への搭載は作りながら考えよう」
「そんなことしていいんですか」後輩は驚いたような面持ちで再び尋ねた。
「俺はアニキに、チームを勝たせろ、と言われた」「はあ」後輩は納得していない返事をヨシに返した。
「アニキのエンジンは20年前のものだ。20年前だったらいざ知らずそんなエンジンを使っていたら、勝てるものも勝てない。アニキの機嫌をうかがってレースに負け続けるのと、新しいエンジンで勝つの、どっちがいい」
「そりゃ勝つ方がいいに決まってます」
「だったら、やることは一つ、勝てるエンジンをつくることだけだ」

 レースに復帰して3年目、アニキから責任者を命じられたヨシはシーズン3勝を役員と約束して予算の増額を認めさせていた。レース責任者とはいえ三十代半ば過ぎの係長クラスが要求したところで簡単に認められる類の金額ではなかったのだが、本社の副社長に昇進が内定していたアニキがレース活動を仕切っている事情が考慮されたことで、ヨシは活動資金を確保することができた。
 そして、ヨシを始めとする若手はエンジンの設計を着々と進めた。アニキのノブは、自身の設計が若手に否定されたことで激しい憤りを覚えたが、それだけだった。結果がすべて―15年前引退したオヤジはそういっていた。


 昭和40年代後半、会社はオヤジの主張と若手の主張が真っ向から対立し、会社の歯車がかみ合わなくなっていた。当時若手エンジニアだったノブたちは、単純な設計に基づくユーザー視点のエンジンを至上のものとするオヤジの考え方が限界に来ていたことを感じていた。このままでは会社が持たない―ノブのアニキたちはこの件をオジキのところに持ち込んだ。オヤジが技術で、オジキが経営・販売を所掌し、それぞれはお互いのシノギに口を出さないという二人の不文律は、社員ならば誰でも知っていたが、あえてそれを破った。八方塞がりとなったアニキ達はルールを守っても会社を守れなければ意味がないと判断した。

 新しい考え方でエンジンを作らなければ早々に会社がつぶれる未来図が見えるアニキ達は必死になって、オジキに訴えた。オジキはアニキたちの話を一通り黙ってきいた後「君たちの言いたいことは分かった。そのまま社長にいいなさい」と回答して翌々日にオヤジと若手エンジニアのミーティングの場をセットアップした。
ノブのアニキたちは狐に包まれたような気分になった。研究所でいくら説明しても理解を示さなかったオヤジが、ミーティングくらいで考えを変えるとは思えなかった。

 しかし、ミーティング当日、オヤジは一方的に怒り狂ってしゃべった後、「そんなに新しいエンジンやりたきゃ、やればいいだろう。ただし、失敗したら給料はないと思え」と机をたたいて退室した。会社消失の危機を回避しようとしたノブたちの要求は何も言うこともなく、あっさりとみとめられた。

 実は、アニキたちがオジキに直訴した後、オジキはオヤジとなじみの店で杯を酌み交わしていた。その席でオジキはオヤジに「ソウちゃん、この会社はアンタの技術者としての意地があったからここまで大きくなった。今、二輪車の売り上げはまずまずだが、四輪車が伸び悩んでいる。あたしには技術のことは分からん。ただ、四輪車のコストがかかり過ぎるているのは黙認できない、何でだ?」とオヤジに説明を求めた。

 オジキの口ぶりからノブのアニキ達がオジキに泣きついたことを察したオヤジは「タケちゃん、オレのエンジンでもまだやれるんだよ、説明したところで理解できるかどうかわからないけど、まだやれるんだ」とオジキの口撃に予防線を張った。オジキは、一息ついて徳利を差し出し、オヤジの猪口に酒を注いで口を開いた。
「あんたはあたしに経営を任せた。そしてあたしはアンタの領分である技術には口を挟むことなくこれまでやってきた。あたしはアンタの器に合わせて会社を大きくしたつもりだし、これからもそのやり方で大きくしていくつもりだ。」オヤジは黙って聞いていた。「アンタのその技術者としての意地は、アンタが社長を務めるこの会社をつぶしても守らなきゃならない大事なものかもしれない」口調こそ柔らかだが、有無を言わせないオジキの迫力にオヤジは詰った。
「だから、一つ聞かせてくれ、アンタは社長なのか、技術者なのか」オジキは覚悟をもってオヤジに即断をせまった。言葉の調子からオジキの心中を理解したオヤジは長い間沈黙ののち、ようやく言葉を一つ絞り出した。「技術者のプライドも大事だが、会社はもっと大事だ」

 オヤジが曲げなかった意地を曲げた瞬間だった。オヤジの心うちを読み取ったオジキは安堵した。「それじゃ、ノブたちに新しいエンジンを作らせますね」とオジキは確認をとった。「ああ」と返答したオヤジは「年を食ったな、俺も」と平手で自分のパチっと叩いてオジキにだけみせる素の弱い顔をあらわにした。オヤジの言葉に応じるようにオジキも「あたしもだ」と答えた。二人は顔を見合わせて、カッカッと笑った。

 オヤジが技術者としての限界を認めた3年後、オヤジは会社から身をひいた。技術開発、研究所の人材育成を含めた計画やらノウハウの一切合財を後任に指名したキヨシのカシラとタダシの大アニキに丸投げした。突然、二代目に指名されたキヨシのカシラは技術以外の仕事は俺のシノギじゃねぇ、と一週間ばかり出社拒否して駄々をこねたが、その駄々をあやすことがオヤジの最後の仕事となった。キヨシのカシラに丸投げされたもののなかに一つの心得のようなものがあった。社訓めいたものが少ない会社だが「日本を強くするために先人の技術を乗り越えろ」という生き方が伝承された。

 技術開発を行う研究所では技術者のあいだで「その技術は会社の利益になるか、日本の未来を明るくできるか?」の問答と議論が繰り返されることが常だった。勿論、そうした研究所のハリある空気はオヤジの情熱を引き継いだものだが、その研究所を作りあげた最大の功労者はオジキだった。研究所を社内独立させることで経営よりも技術を優先する会社の姿勢を明確にして、世界に通用する技術こそが存在意義であることを内外に示した。研究所が開発した製品を本社が買い取って生産するという他社に例をみない会社独自のシステムは、反対意見をねじ伏せたオジキの剛腕と技術絶対の信念があったからこそなしえた代物だった。そのオジキもオヤジと一緒に引退した。いつまでもジジィがいたら、若い衆が一人前に育たねぇんだよ、というのが理由だった。やはりオジキも仕事を後任に丸投げしたが、オジキの跡継ぎは駄々をこねることはなかったそうだ。オヤジとオジキは会社からいなくなって、社内はお通夜みたい静かになったが、その静かさを乗り越えて会社を成長させることが二代目らの初仕事にして最大の仕事となった。