世界で一番になろうじゃないか

http://majo44.sakura.ne.jp/trip/2019hondahall/12.html

「ホンダは、松明(たいまつ)を自分の手でかかげて行く企業である。
日本の自動車企業には前を行く者の持つ明かり、その明るい所について行くものが多い。が、たとえ小さな松明であろうと、自分で作って自分たちで持って、みんなと違ったところがありながら進んでいく、これがホンダである」

まるで本田宗一郎総司令官の発言のようですが、これが藤沢副社長の発言であり、二人が根源的な部分で深く共闘していたのだ、という事が判ります。藤沢さん、ただの営業屋じゃないのです。
ホンダという会社は本田宗一郎総司令官の天才性による所が大きいのは事実ですが、実際にその基盤となっている企業体質、思想などは半分以上が藤沢副社長によるものだと思っていいでしょう。
例えば日本の企業の中ではかなり早い段階から国際展開をしていたホンダですが、これも藤沢副社長の決断によるものでしたし、以前もちょっとふれたマン島TTレースを目指す事を明らかにした宣言文も、実際は藤沢さんが書いたものでした。

tacaQが尊敬してやまないマニア・夕撃旅団氏のページには
茂木のホンダコレクションホールの探訪記があり
その記事は、ホンダに対する愛情に似たリスペクトの念が
散りばめられている。


高校時代に高校の大先輩海老沢泰久氏の「F1地上の夢」を読んで
本田宗一郎本田技研工業、そして
宗一郎と長らくコンビを組んで副社長を務めた藤沢武夫氏について
ある程度知った気になっていたが、
その認識は誤りであった。

 わが本田技研はこの難事業をぜひとも完遂し、日本の機械工業の真価を問い、これを全世界に誇示するまでにしなければならない。
わが本田技研の使命は日本産業の啓蒙にある。
 ここに私の決意を披瀝し、T・Tレースに出場、優勝するためには、精魂を傾けて創意工夫に努力することを諸君とともに誓う。

イギリスのマン島に赴き、
自社の2倍以上の馬力を出す
世界基準のバイクレースを目の当たりにしも
臆することなく
世界一を目指した宗一郎の檄文が
プラスのネジすら存在しない工業化の遅れた国の
しかも、資金繰りに行き詰まり、倒産寸前の会社が
掲げた宣言だとはついぞ知らなかった。


戦後、焼け野原になった日本では
小型エンジンを自転車に取り付けた乗り物が重宝され
あまたのバイクメーカーが屹立しては消えていった。
生き残った4社に何故に本田技研が加わることができたのか。
生き残るだけでなく
世界的なメーカーとしての地位を確立することができたのはなぜか。
宗一郎氏の卓抜した技術、社会性を重視した倫理観もさることながら
藤沢氏の透徹した経営哲学や先見性なければ
難しかっただろう。



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