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「逃げきれないな」
1989年の中国民主化運動のリーダーで、
北京師範大一年のウアルカイシ(21)は
観念した。

6月4日に天安門広場が武力制圧された後、
南方の香港(当時は英領)を目指し、
約2千キロの逃避行を始めた。
が、途中の駅や停留所など街の至る所に
指名手配写真が貼ってあった。



中略


天安門から30年たった今、
89年の民主化運動をどう総括するか。


ーハンストがかえって政府を強硬にさせたのでは


「ハンストといっても、私たちが断食したのであり、政府を飢えささせたわけではない。
丸腰の平和的な請願者を銃で鎮圧した中国政府の道徳、政治、法律上の責任こそ追及されるべきでだ。
発砲された私たちを責めるのは間違っている」




ー犠牲者については


「私は沈没船の船長だ。一緒に死ななかった罪悪感を抱き続いている。以前、(遺族グループ「天安門の母」を創設した)丁子霖さんに(元学生リーダーの)王丹と二人で電話したことがある。謝りたいと思っていたからだ。丁さんに、『私たちを、あなたの子供と考えてもらえないだろうか』と話した。彼女はずっと電話口で泣いていた」


30年がたったこの事件について
中国政府を糾弾する声は
犠牲者の遺族やデモ参加者を除けば
かなり小さくなった。


民主化と自由が中国人民にとって
確実な幸せをもたらす福音なのかといえば
おそらくそうではないだろう。
仮に、あの時点で民主化がなされれば
中国に訪れたのは
アラブの春と類似した、彼の国で
王朝の衰退ごとに繰り返された動乱であったかもしれない。


しかし、だからといって、無邪気に
未来を夢見た若者たちを
銃弾と暴力で屠ったことは
正当化することはできない。


民主主義や自由が絶対の正義ではないし、
それを旗印として声高に叫ぶ者の
狭量さに辟易させられることも
少なくない。
自由や権利は大事だが
それだけでは国を治めることはできない。
だが、民の声に耳を塞ぎ
願いを蔑ろにし、
希望を踏みにじり
国民を虐げる体制は
大きな間違いを犯している。


願わくば、誤謬を速やかに改め、
民への慈愛をもったまつりごとが
常なるものにならんことを
切に祈るー