漢字の簡体化とともに、伝統文化は廃れ、
道徳が衰退し、社会は乱れてしまった。
皮肉なことに、現在、中国の世相はまさに簡体字の通りである。
例えば、親は「亲」に変わり、「見」が無くなった。
現在の社会では、親の面倒を見ない子供が多くなった。
愛は「爱」に変わり、「心」を無くした。
つまり愛に心がこもらず、うわべのだけの愛となったのである。
聴は「听」に変わり、心もなければ、耳も無くなった。
人の話を聴く耳と心はなく、人に何かを言われたら、
「口」と「斧」(斤)で対抗する。
恥は「耻」に変わり、心が恥を感じず、耳で止まってしまい、
結局恥知らずになってしまった。
1950年代以降、中国では簡体字を使用している。
何千年と続いた漢字の文化を壊す行為だと
非難するむきもあるが、
この件に関しては、日本人もあまり偉そうなことは言えない。
なぜなら、日本も戦後に、新字体を導入して
漢字が意味する本来の形象を多く損なっているからだ。
リンク先の記事は、現中国政府に批判的な
在外中国人のためのメディア大紀元が
掲載した漢字の本家ともいえる中国人の
簡体字の普及を嘆く内容の文章である。
一国二制度といいながら、
政治的に中国に飲み込まれそうな香港では
簡体字を忌避する傾向が強いようだ。
香港テレビ番組で簡体字の字幕 苦情殺到 WEDGE Infinity(ウェッジ)
香港の人たちにとって、自分たちのアイデンティティーの根幹をなすものとして中国語の使い方ほど大事なものはないかもしれない。香港では広東語を話し、繁体字を使うのだ。
だからこそ、ゴールデンタイムのニュース番組が簡体字を使い始めたことが、これほどの反発を買ったのだ。たとえ番組が広東語ではない中国語の放送だったとしても。
民主化運動派のクローディア・モー議員は、TVBに抗議文を送った。テレビ局は何の規則違反も冒していないと認めた上で、簡体字字幕の導入は明らかに、香港を中国本土の一都市に変えてしまおうという計画の一環だと指摘する。
「町を殺したければ、まず真っ先にするのは、その言葉を殺すこと」と議員は私に語った。
さて、おまけに、再び大紀元の記事。
老人は言った。
「あなたが造った『馬』、『驢』、『騾』の字は
すべて4本の足があるのに、
なぜ「牛」の字は4本の足がなく、
1本の尾だけにしたのでしょうか」
蒼頡は心の中で少し慌てた。
「自分は『魚』の字を造る時に『牛』の形に書いて、
『牛』の字を造る時に『魚』の形を書いたが、
みんなに教える時に、
うっかり逆に教えてしまったのだ」と反省した。
老人は更に聞いた。
「あなたが造った『重』の字は、
『千』と『里』を合わせ、
遠くに出るという意味にするべきですが、
人の重さを表す『重』の字として教えています。
その逆に、二つの山を重ねてできた『出』の字は、
重い意味を表すべきですが、
遠方に出かける意味の『出』として教えています。
たたが文字、されど文字
その文字は込められた思いは
深く、そして重い。