昭和の夢、平成の果実

芝生と守り神

[【日曜に書く】昭和の夢、平成の果実 論説委員・別府育郎 - 産経ニュース>

翌朝、宿舎の窓から見た緑の光景が、当時早稲田大学の学生だった川淵三郎には忘れられない。8面に及ぶ芝のサッカー場で子供から老人までがボールを蹴っており、体育館では身障者がシッティング・バレーに興じていた。ピッチに触れると芝は濃く深く、手が土に届かない。ドリブルしてもタックルをしても、サッカーが楽しい。


(中略)



当初は誰も成功を信じなかったJリーグの創設とW杯の招致である。川淵らの牽引による究極の目的は日本中に芝のピッチを増やすことにあった。ドイツで見た夢の実現である。


 必ずしも順風満帆ではなかった。J2、J3への拡大に批判があっても、そこに緑のピッチが増えるのだという、帰るべき信念がこれをはね返した。
 青臭い理念、きれい事が、世の中を動かすこともある。百年を待たず、夢の光景が現実のものとなっている。


(中略)

東電マリーゼに所属していた鮫島彩は帰るチームを失い、米国に渡った。同年6月のW杯では全試合に先発し、震災への思いを胸に、優勝に大いに貢献した。
 大会で着た青いユニホームを鮫島は、かつての勤務地、福島第1原発に贈った。事故処理に命を削った吉田昌郎所長はこれを最前線の免震重要棟に飾り、「守り神」と呼んだ。


産経新聞、別府氏の記事。
内容は、来年の東京オリンピック聖火リレー
出発地となる福島Jヴィレッジ
芝生の説明から始まり、川淵氏の体験と夢、
東日本大震災で所属チームを無くした
鮫島彩と彼女のユニフォームに
まつわるエピソードが紹介されたものだった 。



彼女のユニフォームを見ながら、
日々見えない恐怖と戦っていた福島第一の
作業員らの心中を思い、
目頭が熱くなるのを感じた。
2011年、日本に元気をもたらしたたなでしこ達は
なぜここまで人のことを思いやれるのだろうか。
いまさらながら、彼女達の素晴らしさを
思い知る。


こうした記事を読むとき、
サッカーが単なる興業としてではなく文化として
日本の社会に受け入れられるようになったのだと
思わずにはいられない。


絆という言葉が口先だけでないことを
証した別府氏の記事だが
これもクラマー氏の蒔いた種の
結実の一つなのだと思う。