南川千代

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【荻原千明】大阪市阿倍野区のビリヤード場・保名(やすな)倶楽部を70年間にわたり営み、その半生が舞台にもなった「浪速の女ハスラー」南川千代(ちよ、本名・千代子)さんが心不全のため死去した。96歳だった。遺志により葬儀は行わなかったが、「偲(しの)ぶ会」を25日に開く。

 千代さんは先月19日、店が開く午後2時に窓際のいつもの席に座った。1942年ごろの開店当初から磨き続けた黒檀(こくたん)のビリヤード台の傍ら。40年ぶりに来店したお客さんを夕方近く、「またね」と笑顔で送り出した後倒れた。2日後の21日午後9時29分、大阪市内の病院で息を引き取った。

 20年ほど前から包装紙を折り畳み、小さな「星」をたくさん作っていた。「亡くなったら自分の周りにまいて」と話していた。星への願いは「死ぬまで働きたい」。その通りの一生だった。星は棺(ひつぎ)に納められた。


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玉撞き屋の千代さん―浪速の女ハスラー (集英社文庫)

玉撞き屋の千代さん―浪速の女ハスラー (集英社文庫)



「嘘をつかずに玉をつけ」は、
トラックバック先で見つけた南川千代さんの言葉である。


名の通ったプロでもない、有名な経営者というより
ローカルな老舗玉撞屋の名物主人といった人物の名前を
キャリアやレベルを問わず知っている関係者は
少数ではないだろうか。
かくいうtacaQ自身、面識もなく
名前を知っているにすぎない。


それでも、過疎化したブログに
何かを書き記そうと思いたったのは
ネットに配信された記事に
十年前の記憶を久々に呼び起こされたからだ。
当時、自分が居場所としていた店の空気と一冊の本を、である。


青森の片隅で球をよく撞いていた時分
馴染みの球撞き屋に一冊の本が置いてあった。
大阪阿倍野の老舗球撞き屋の女主人の半生記を
その息子がまとめた物語だった。
ビリヤード関係の雑誌以外の本が店に置いてあるのが
珍しいかったこともあり
プレイの合間に、何気なく手にとって読んだ。



物語のあらかたの筋を忘却してしまい、
今となっては、面白かったという曖昧な感想を
語る以外は何もできないが
それでも、物語の主人公となった「千代さん」の生き様が
ただ、ただ格好良かったという記憶だけは
しっかりと残っている。


キューともラックともほぼ無縁の生活となって久しい。
いまさら、そうした居場所を探したいと思わないが
楽しかったあの頃と仲間を懐かしむ気持ちに
嘘はない。


球を撞く場所から足は遠くなってしまったが
球を撞く感触と弾ける音を思い出し
南川千代さんのご冥福をお祈りします。


以上なんちゃって球撞き者のひとりごとである。