ジョバンニの嘘


男は、災禍のあとに立っていた。
かつては地方の名刹だったはずの場所は
かつての面影を失い、廃屋同然となり
文化財に指定されてたいた仏像は、
津波で流されたかあるいは盗難の憂き目にあったのか、
消え失せていた。
体を凍り付くような冷たい風を浴びつづけ
「この世には神も仏もないのか」それが男の偽ざる心境だった。
男は西からその地を訪れていた。


気がつくと、見知らぬ少年が一人崩れた伽藍の前で何かを祈っていた。
「坊や、どうしたんだい」少年の思いつめた様子に男は声をかけた。
「俺、仏様に謝ってんだ」
「何か、悪いことをしたのかい」
「ん、俺嘘ついた」
「嘘?」
「ん、嘘ついたら、閻魔様に舌抜かれるって
父ちゃん言ってた。
今まで嘘ついたら、父ちゃんにぶたれた。
でももう父ちゃんいないから、仏様さごめんなさいした」


男は、年端のいかない子供に襲った悲劇に胸が痛んだ。
「どんな嘘をついたんだい」
「妹に……」
「妹に?」
少年は声を詰まらせた。


「妹が避難所でお腹空かせて元気なくて
死んで、父ちゃんや母ちゃんに会いたいっていった」
「それで」
少年は泣きじゃくった。
「俺も父ちゃんや母ちゃんに会いたいって思ってた。
でも死んで会いに行くのは、なんか違うって思った。
食い物さなくて、ストーブがつかなくて寒くたって
死ぬのは間違ってると俺思った。
「そうだよ、間違ってるね」
「だから、妹に嘘ついた」
「どんな?」
少年はしばらく黙って泣いていた。


やがて少年は顔をあげて話しを続けた。
「『いいか、今死んだって、あっちさ行く前に追い返される。
でも、大きくなっていっぱい働いて街を元通りして
結婚して、子供産んで、いいことたくさんしたら
そしたらまたあの世で母ちゃんや父ちゃんに会える。
母ちゃんや父ちゃんの子供でまた生まれてくることできる。
だから、ひもじくても寒くても頑張んなきゃ駄目だ。
父ちゃんや母ちゃんに会いたかったら頑張んなきゃいけね』
って俺、いったら
妹さ、んじゃ頑張って生きるって答えた」


男は考えた、
神仏が消え失せたこの地に幼い足で
しっかりと立っている少年は一体何者なのかを。


「俺、嘘ついたから、地獄さ堕ちるべか
仏様に怒られるかな」
男は、神仏の教えなど知らなかった。
ただ、この子を罰する神仏がいてたまるかと思った。
「妹の幸福を願うものを仏様は罰したりしないよ」


「ならいいけど。
んでも俺、妹のためなら何百回だって地獄さ堕ちてもいいや」