痛み


自己の無謬性を信じるものは、自己の過ちに気がつくことはない。


福島第一原子力発電所の事故以来、
放射能怖さに原発を全否定する動きが広がりを見せている。
震災以後、後手に回って問題を解決できない東電を糾弾し
原子力エネルギーを否定することは容易いことだが
それで何が生まれるのだろうか。


感情的ないしはヒステリックに反対を叫べば叫ぶほど
当事者は議論を嫌がり、論点を隠し、結果問題は潜在化する。
「絶対」を喧伝し、自己の無謬性を強調するあまり
勧告や忠告を聞き入れなくなった企業の傲慢さは
非難されてしかるべきだが
そこまで彼らを追い詰めたのは誰だったのだろうか。



冷暖房の快適な部屋でパソコンや携帯を使い
深夜まで遊び暮らし
街に出れば、自販機やコンビニで物を購入し
散々電力の恩恵を受けてきた都会の人間が
今になって叫ぶ原発反対の声を
利用された挙げ句、危険だからという理由で農産物や避難を拒否され、
見捨てられたかのような扱い受けた福島の人間は
どう思うだろうか。
俄かに沸き起こった原発反対の声は、
偽善ですらなく、矮小な利己主義者の我が儘に過ぎない。



長年政権を握り原子力発電を推進した自民党
その庇護の下で建設を進めた各電力会社の責任は大きい。
しかし、多くの利益を享しながら、それを捨てようともせず
自らの行いを省みることも悔いることもなく
原発反対だけを叫ぶのは
破綻してなお自己の無謬性を未だに信じて過ちを認めず
想定外だったと言い訳をしている東京電力や保安員、
自民党原発族と何が違うのだろうか。
自分を棚にあげて、過信し失敗した者を
声高に糾弾するのを是とするならば
それは戦争に協力するどころかそれを推進し、
負けた途端に軍部に騙されてましたと言い訳に無罪を主張した
60年以上前から何も進歩していないことを意味する。


今我々がすべきことはこれ以上の災害を食い止めること
稼働している原発をより安全にすること。
今までの生活を率直に反省すること。
それから後にを原発に変わる代替エネルギー
高いコストを払ってでも受け入れるか、
それともエネルギーを使わずに
企業の生産を含めた社会活動を縮小し、生活水準を下げた
原子力の社会かを選択すればよい。
またリスクを甘受し原発を使い続けるのも
選択肢の一つである。


思うに戦後の日本は、子供が飴を欲しがるかのように
何かを得ることを優先させてきた。
それは発展と利益をもたらしたが、
矛盾を内包した問題の解決を先伸ばしして
あるいは隠蔽して、解決をより難しくもした。
エネルギーだけではない。防衛、教育、年金、エトセトラ、
今この国が抱える多くの課題に対し
全ての人間が満足するバラ色の未来はどこにもないことを
我々はいい加減思い至るべきである。


今回の問題をこじらせ、長期化を招いた一因は政府にあり
未だ震災の復興の道筋を示せず、画餅の夢物語と精神論しか
語れないひきこもりの首相も問題だが
その為政者を選んだのも他ならぬ日本国民である。


口先三寸の綺麗ごとばかりの理屈をふりかざし
決断を忌避し、問題の先送りしかできない今の政府は
正しく国民を写したの鏡である。
今の日本に求められるのは大人の選択であり、
それは何かを失うを覚悟を示すことに他ならない。



以上、自民党の腐敗と民主党政権奪取を
食い止められなかった大人のひとりごとである。