ドナウの叫び

ドナウの叫び―ワグナー・ナンドール物語
日本に帰化して芸術家としての
生涯を全うしたワグナー・ナンドールの伝記。
ハンガリートランシルバニア地方ナジュバラド市
(現在のルーマニア・オラデア市)に1922年に生まれ、
医者を務める厳格な父に育てられる。


若くして天与の才である彫刻に目覚め、
建築家や医師を薦める父親に従わず、
ほぼ独力でブダペストの国立美術大学に入学し、
働きながら美術を学び、、医大にも通い優秀な成績を収める。
平和な時代であれば、彼はハンガリー
芸術家としての人生を全うできたであろうが
彼は時代に背を向けることはできなかった。


第二次世界対戦に枢軸国側ついたハンガリー軍に志願し
士官として働き、瀕死の重傷を負う。
その後、捕虜としては異例の待遇を受けつつも帰国し
ルーマニア領となった故郷に帰るも、収監され処刑目前に
脱獄し、ブダペストハンガリーに亡命。
ハンガリーで芸術家として台頭し
日に日に共産国家としての性格を強めるハンガリー
彼は人々の希望となる。
しかし、大きな暗雲が漂い、
1956年ハンガリー動乱によって彼の人生に危機が訪れる。


保安警察にマークされた彼は、旧友の忠告により
オーストラリアに脱出し、命からがらスウェーデンに亡命する。
スウェーデンでは、ハンガリーの至宝と云われた彼の芸術は理解されず
また、彼の媚びない性格と自分を安く売ることのないプライドゆえに
不遇の時代を過ごす。
ふとしたことから、日本人秋山千代と知り合い
二人とも家庭を持つ身でありながら、
互いの似通った環境に心を開き、いつしか愛を育む。
双方の多くの問題を解決して長い時間と困難を乗り越えて
二人は結ばれるが、困窮した生活を余儀なくされる。


その後、1970年日本に移り住み栃木県益子町を拠点とするが
平和な筈の日本も彼にとって住みやすい場所とはいえなかった。
建築に詳しい彼は、アトリエ作りにも妥協を許さなかったが
それがレベルの低い職人達の反発を招き、悪い噂となって
彼を苦しめる。
何とか芸術活動に没頭する環境になれば、
ハンガリーの元保安警察官の私怨の的になるなど
彼の人生には常に逆風が吹いていた。


逆風の都度。彼は窮地に追い詰められて絶体絶命となるのだが
不思議な助けが彼を救う。
それは、彼の信仰心がもたらした奇跡か、彼や彼の家族の善行ゆえか
わかないが、彼はどんな逆境にもつぶされることなかった
希有な芸術家である。


幼い頃より日本を愛し、日本を尊敬し、日本に永住した彼にとって
現在の日本人に対していいたいことがたくさんあったようだ。
この本では、彼の芸術活動については詳細に記述されていたが
彼の主張やタオに対する理解の説明が通り一辺倒であり
やや物足りなさも残ったが、
ワグナー・ナンドールという偉大な芸術家の波瀾万丈な生涯を
日本人に知らしめた点で、非常に価値のある一冊である。


日本ではほぼ無名の芸術家の伝記を
損得勘定もあろうが、
これを世に問うた出版社のスタンスは賞賛されるべきであり、
その意気込みに負けない読み応えのあるボリュームがあった。



以上、芸を極めるには温すぎる自称アマチュア芸術家の読書感想文である。