明日への遺言


横浜BC級裁判で、絞首刑の判決を受け
絞首台の露と消えた岡田資中将の「法戦」を映画化したもの。
原作は、俘虜記の大岡昇平


昭和21年陸軍東海軍司令であった岡田資中将は、
無差別爆撃後、被弾したB-29から脱出した搭乗員を処刑したかどで起訴される。
横浜の法廷に立った彼は、
軍事目標以外の商業地、住宅地への無差別爆撃は
国際法に違反しており、搭乗員は捕虜ではなく戦犯であるから処刑は妥当と主張する。
彼は、裁判において二つの明確な目標をもっていた。
一つは、米軍カーチス・ルメイの下した都市への無差別爆撃が不法であり
彼の命令によって戦闘と関係の薄い一般市民が大量殺戮されたという
おぞましい事実を連合国に突きつけること。
もう一つは、部下の命をすくために、一切の責任は司令官にあったことを
検察、裁判官に納得させること。
彼は、この二つの目標に達するために、法廷闘争を「法戦」と名付けて自らを鼓舞するのだった。


彼の罪を告発するバーネット検察官(フレッド・マックイーン)は、
搭乗員を正当な裁判なしで処刑した非を責め立てるのだが
岡田中将(藤田まこと)の言葉にその荒々しい態度を徐々に変化させていく。
そして、彼の罪を裁く裁判長ラップ大佐(リチャード・ニール)も
岡田の一切の罪を被ろうとする姿勢に、同情を示し
彼を死刑から助けるために「米陸軍は、報復を認めているが、それを知っていたか」
「処刑は、報復だったのではないか」と問いかけるのだが
岡田は「知らない」「罪は認めないが、責任は私がとる」という態度を
頑なにとるのだった。



なかなか重厚なテーマな映画であるが、それほど重い印象は残らなかった。
この映画は、日本軍が悪かった、米軍が悪かったというプロパガンダから
完璧に脱却している。
戦争の是非はともかく、日本軍にも米軍にも善人はいたし、悪人はいた。
と従来からtacaQが主張している線に近い視点で作られていたように思える。
恣意的な観点で作られていないので
不自然な台詞もなくすっと映画の世界に入っていくことができた。
おそらく、この映画の主張は、日本軍将校の中にも立派な人物がいたということを
知って欲しいがために、過剰な演出を抑え、
映画の筋を理解するに最低限の事実だけを挿入していたように感じた。


理不尽ともいえる法戦に立ち向かった岡田の潔い態度を
藤田はよく演じていた。
ただ、エンディングで妻・温子(富司純子)が
「生まれ変わっても資を夫とするでしょう」は
本間雅治夫妻のエピソードが(保守知識人の間では)有名であるため
如何なものかと思う。