かいしょうがない大臣

久間章生防衛相は30日午前、千葉県柏市麗澤大学で講演し、米国の広島、長崎への原子爆弾投下が日本の無条件降伏につながり、ソ連の北海道侵略・占領を防いだと指摘した上で「(原爆で)本当に無数の人が悲惨な目に遭ったが、あれで戦争が終わったんだという頭の整理で今しょうがないなと思っている」と述べた。
 久間氏は長崎県出身。原爆投下を一定評価した発言ともとれるだけに、波紋を広げそうだ。
 久間氏は当時の戦況について「(米国は)日本が負けると分かっているのに、あえて原子爆弾を広島と長崎に落とした。そこまでやったら日本も降参し、ソ連の参戦を止めることができるということだった」と説明した。 

http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2007063000199


日本本土上陸を敢行して多数発生するであろう敵味方双方の犠牲者を
防ぐため原爆を使用したというのが米国の大義名分である。
しかし、実際には犠牲云々という人道的な見地ではなく
日本降伏後の占領政策や国際政治でソ連を牽制して
イニシアティブを握るための政治ショーだったと個人的には思う。
日本政府の一部高官が和平工作を開始していたのを
米国が承知していた事実からしても
tacaQの推測はそう外れていないだろう。
だが、推測は推測である。


米国の原爆使用についての是非は、
国家や民族の立場によって様々な意見があるだろう。
しかし、同胞ですら目を背けたくなるような悲惨な災禍を受けた日本人として
どんな理由であれ、それを肯定することはできない。


自国民の手によって守る気概を持とうとしない現実と
日米安保という米国の核の傘によって日本が守られてる事実に
屈辱と汚辱による葛藤が臨界に達しながらも
米国の言い分を肯定しないことは
犠牲者の声なき声を語り継ぎ、
彼らの霊を慰める最低限のマナーではないかと思う。