イギリスの情報外交

イギリスの情報外交 インテリジェンスとは何か (PHP新書)


インテリジェンスというものの価値と使い方が
もっとも優れているとされるイギリスの外交を
1940年代のアジアに限定して解説した書である。


1942年2月仏領インドシナへの圧力を目的とした日本軍の軍事行動は
英国政府をパニックに陥れた。
この頃、極東英軍は脆弱極まりないものであり
単独で日本軍の行動を阻止できる状態になく
米国の援助を期待するより他に術がなかった。
そして、イギリスが誇る暗号解読機関・政府暗号学校(GC&CS)も
この時点で日本政府と軍の行動を正確に予想できず
日英戦争が勃発するとした新聞記事に翻弄される始末であった。


結果的にイギリスはこの危機を乗り越えるのだが
この時期が日本にとって一つのターニングポイントだった。


英政官庁街(ホワイトホール)は、
GC&CSからの情報を主にまとめたBJ(Blue Jacket)と呼ばれるレポートで
政策を決定、変更するが
注目すべきは、政策にインテリジェンスを活用する態勢が整えられている点と
通信情報を始め、国内外の情報収集に余念がない不断の活動である。
ホワイトホールは、種々の情報を分析し
単独で日本の行動を阻止できないと判断し、
極東において米国のプレゼンスを活用することを決定し
表裏にわたり工作を重ね、米国を味方に引き入れることに成功する。


同時期、日本は南進か北進かを巡って軍部及び政府が揺れ
南進に際しては、英米過分、不可分が議論されていた。
三国同盟後、南進を決定し南部仏印に進駐した時
米国は極東への介入を確定的なものにしたが
三国同盟以前の時期に南部仏印に進駐していれば
米国は極東に介入することなく、英国を追い落とし
期間ともかく日本が目指した大東亜共栄圏は成立したただろう、
もっとも後知恵の意見であるが。


日本にとって致命的だったのは、
情報収集活動が中国、ソ連に偏向したため
英国や米国の外交に関しての情報と考察が不足したことだ。
情報が不足していたのは英米側も同じだが
2月以降、積極的に情報収集に努め
ことあるこどに極東の危機を叫び、米国を引き入れて
自分の描いた絵図どおりにゲームを進めた英国と
自らの希望的観測で夜郎自大になっていく日本とでは対照的である。


そんなイギリスも
日本軍の能力を読み違えて、開戦後、日本軍との戦闘において
プリンスオブウェールズ、レパルスの戦艦を沈められ
シンガポールを失い手痛い敗北を喫する。
イギリスが米国を引き入れたのは間違いではないが
結果として戦争に導いてしまったのは
英国にとって取り返しのつかない失点だった。
何故なら、戦争終結後も極東における英国の威信は復活することはなかった。


それにしてもイギリスという国が如何に狡猾であるかを
思い知らせた書である。