李香蘭


劇団四季の「李香蘭」を観てきた。


戦前、中国東北部に忽然と現れては消えた満州帝国は
日本の中国侵略を世界列強から欺くための傀儡国家として、
一般に位置づけられているのではないだろうか。
確かに関東軍満州国政府をコントロールしていたのは事実だが
その一点だけをとりあげて、切り捨てた評価を下すのは早計のような気がする。



偽満ウェイマンと中国人から呼ばれた帝国ではあるが
そこには八紘一宇に基づく五族協和の理念が掲げられた。
完璧にそれが実施されたとは言い難いものがあるが、
当時、欧米において人種差別が公然と行われていたことを思えば、お題目に終わったとはいえ、
その理念は間違っていなかったばかりか歴史的に重要な意義のあるものだったと思う。
ただあまりにも理想が高邁過ぎて、西欧人はおろか、日本人ですら正確なところを
理解できなかったというのが実情だったとしても、である。


そんな気分で観劇したのだが、この物語に込められたメッセージを自分なりに解釈すると
満州帝国は関東軍の野望を隠すための存在であり、
その国威発揚プロパガンダに利用された山口淑子こと李香蘭は悲劇のヒロインであり
我々は真の日中友好を目指さなければならない、というところだろう。
しかし、この物語を戦争の波に翻弄された女性の物語とだけ捉えるのであれば
それは、演出家の意図するものではないだろう。
なぜなら、浅利慶太はパンフレットに

いつか日本は、この戦争の「開戦」と「敗戦」の責任を情緒論には流されず、自らの手でしっかりと裁き、歴史に刻印しなければならない。
(中略)
特に戦後の生まれの若い世代には、最も重要な「日本の歴史」のこの部分を知らない人が多い。戦争を、左側は「侵略」として東京裁判史観に基づき、全てを悪と片づける。右側は、「止むに止まれぬ歴史の流れ」として発想する。しかし、問題は、愚かさと狂気に捉えられたその「戦争の実相」である。多くの人は「戦争」を遠い過去のものと考えている。
(中略)
哀悼と挽歌は我々の手で奏でなければならない。

と記しているからだ。


細部に関していえば、日本軍の悪辣さ狡猾さが目につき、
満州国に対して否定的な内容の演出に多少いらつくことがあった。
劇中には、政府の御用新聞と化したマスコミや大陸侵攻をあおる国民の姿なども
描かれていたので最低限バランスはとれていたとする意見があるだろうが、
それでも平頂山事件や物語の最後を「以徳報怨」で締めくくる演出に疑問が残る。


ただ2時間半の出し物に、戦争や政治の細部を詰め込むのがそもそも無理な話のだから
左と右の納得できる落とし所として、分かりやすい演出が採用されたのかも知れないし
歴史を知らない人間に対する歴史へのいざないがこの物語のねらいの一つだとすれば
十分にその役割を果たす舞台に仕上がっている。
物語の語り手に川島芳子役の女優を配したのは、特に秀逸な演出だったと思う。
それは、川島芳子程度を知らないくせに、満州を語ることなかれと、
満州国に対する安易な肯定論・否定論を戒める効果もさることながら
彼女を調べれば、満州の特異性や複雑な経緯がおぼろげながら見えてくるからである。



涙を滲ませながら舞台を観ていた年輩の女性が多かったのは
満州に対する郷愁もあるにもあっただろうが、
この舞台が好悪や愛憎の感情を越えて、心に訴える何かがあるかも知れない。