エルトゥールル号


1985年イラクイラン戦争のさなか、イラクテヘラン空襲を予告したおり
テヘランに邦人が取り残されるという事態が発生した。
日本の航空会社が邦人輸送を断るなか、邦人を救ったのはトルコ航空だった。
トルコが危険を冒してまで邦人を救ったのは、
約100年前から始まった日本とトルコの深い交流に負うところが大きい。


1890年に日本に寄港したトルコのエルトゥールル号は、和歌山県串本沖で
台風に遭い沈没してしまう。600人が死亡したが、和歌山沖に浮かぶ大島の村民の
必死の救助活動により約70名が命を取りとめる。
島民は、激しい波の中に漂う負傷者を救い出し、背負って二百尺の急峻な崖を登り
体温で暖めて、非常用に蓄えた甘藷や鶏の食糧までトルコ人のために与えたという。
当時大島は、400戸たらずであったというから、命懸けの救出活動もさることながら
その後の介護活動も決して小さな負担ではでなかった。
エルトゥールル号遭難事件はトルコでは歴史教科書に記載され、
日本の名も無き人々の英雄的な行為はトルコ人の記憶に広く刻まれている。


このあたりの事情を以前、日記で記したが
『歴史の「いのち」』に記されていた高校生の反応が興味深かった。

私は、日本人でありながら、日本人という人間が好きではなかった。私を含めて日本人は、冷酷で自己中心的で、自分の幸せだけを見つめていきていく人間だと思っていたからだ。自分の国の人たちが、今にも攻撃され死んでいくという危機の中、日本人という奴は見捨てたのだ。自分の命一つが惜しいがためだけに、二百五十の名の尊い命を見捨てたのだ。信じられないと思った反面、日本人なんてそんなものさという思いもあった。


そんな絶望の淵に立っていた日本人を救ったのは、トルコ人だった。私は最初、どうしてトルコ人がこんなことをするのかわかなかった。お金のためと聞いたとき、ああ、そうかと思った。しかしすぐに、そんな無知な自分を恥じた。トルコ人は善意の人たちだった。しかし、それよりも善意の人だったのは、私が今までさんざん毛嫌いし、見下してきた、当時、鎖国が開けてすぐの日本の、大島の島人だった。


この話を聞いて、私は鳥肌が立った。日本人という人間が、こんなにすばらしかったなんて……。本当に心から救われたような気がした。そして、その恩を返すべくトルコ人の日本人救出の飛行機……。まるで恩のキャッチボールではないか。

思うに、歴史とは姿を変えを形を変え我々の命の中に息づいている。
それを自覚した時、我々は自分に誇りを持つととも
他人に対して限りない優しさを持つことができるのではないだろうか。




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