「日本人とユダヤ人」「日本人と中国人」


日本人とユダヤ人」については、
既に古典と云っても差し支えない高い評価が定着した作品だが
ここの常連の方に勧められて今回初めて読み通した。


「日本人は政治の天才である。」と著者のイザヤ・ベンダサン
日本人のあらゆる場面における意思疎通能力と統制のとれた集団性を賞賛しているが、
それはこの国が長年にわたりほぼ単一民族で構成され
かつ民族絶滅の危機などさらされたことがないことに由縁している。
日本人の高い政治性は、内政を進めるのに非常に有利ではあるが
外交においては有利とは言い難いものがある。
"自分はここまで妥協したのだから、相手もここまで降りるべきだ"
"〜であるべき"という考え方は、
その相手が自分と同一或いは同等の価値基準を有している相手には非常に有効だが
これを価値基準の違う相手にやらかすことに
この国の外交の根本的な失敗があるよう気がする。


40年前国として結んだ条約を、
今になって見直せと云ってる記憶障害かつ情緒不安定に陥った国は論外にしても
自分たちがこれほど経済援助をしているのだから、
感謝されてしかるべきと自己満足に浸っているのが、この国の外交の姿ではなかろうか。
日本は、相手に幻想を描き、その描いた幻想相手に外交を行う。
こうして幻想相手に外交を失敗し続けたのが日本の外交であると
ベンダサン氏は「日本人と中国人」で指摘している。


具体的に云えば南京攻略の際
それ以前に日本発のドイツ仲介で国民党との停戦協議をまとめかけていながら
南京攻略を政府が許可するという矛盾に満ちた行動の原因は
軍部でもなく政府でもなく日本国民が納得していなかったからであった。
それは南京を叩けば蒋介石は降伏するという希望的観測を
国民が信じた結果である。
満州国を建国した時も独立国である筈の満州国の承認を中国に日本が迫り
日本の傀儡であることを自ら暴露する浅薄な思慮もさることながら
中国を一方的に侮りと現状を見ようとしなかった極端な当時の中国観は、
軍民問わず酷いものがあったと思う。


「日本人と中国人」に著述されていることを自分なりに要約するならば
日本人は、自国が他者からどういうふうに観られているかを客観的に分析する能力に劣り
外交における戦略性の欠如に加えて
国民感情という得体の知れないものに引き摺られて、
行き当たりばったりで外交を行っている。
そして、この日本国民の古来から変わらぬ特質を周恩来は見抜き
日中国交回復の際、日本国民が中国に対して歓迎ムードを持つように世論を演出して
国交回復を成功した、ということである。


いささか乱暴なものいいだが、
日中回復以降の関係を観るとき、この要約もあながち的はずれでないと自負する。
80年代以降、日本が謝罪すれば相手が理解してくれるという幻想を抱きながら
外交を展開させてきたのに対して、中国は非常に現実的であった。
中国は、日本に反省を求めることによって多くの譲歩を引き出し
無理難題を日本に押しつけてきた。
そして、交渉は威圧的であればあるほど
例え恫喝になっても日本は受け入れるという現実を中国は見ていた。
今の日中関係が「経熱政冷」と呼ばれ、中国人の日本人に対する反日の気運が高いのも
国交回復以後、何かことあることにかこつけて、
"日本を許した寛大な中国、自らを反省しなかった日本"という図式を持ち出し、
大小の交渉を積み重ねこの図式を定着させた結果だろう。
そして、その中国の先棒を担いだのが朝日新聞であるのは云うまでもない。


日中友好を唱えながら、
日中関係を主従の隷属関係に誘導した朝日の責任は小さいものでないが、
それに乗った政治家と国民に過失がなかったわけでなく
また騙されたといって全てが免責になるわけではない。
中国から突きつけられた振り込め詐欺のような法外な請求書を
我々は処理しなければならないのだ。
騙すより、騙される方が悪いのが外交の基本であるならば
日本人は国際政治の場において、あまりにもナイーブすぎる。





日本人とユダヤ人 (角川文庫ソフィア)

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