Duty


敵対水域―ソ連原潜浮上せず (文春文庫)

「英国は各自が己の義務を果たすことを期待する 」
トラファルガー海戦にて〜ネルソン提督


映画「K-19」がテレビで放映していた。
原作である「敵対水域」は、かなり前に読んでいたが
映画を見るのは初めてだった。
冷戦下で実際におきた原子力潜水艦の事故をモチーフにしたこの映画は
共産主義国家の軍隊に所属する軍人の苦悩をよく描きだしていた。
艦長が原子炉の暴走が始まった原子力潜水艦において米軍へ救助の要請を
逡巡したのは艦を敵の手に渡すことを恐れたからである。
沈没や放射能汚染の危機から兵員の命を救うためとはいえ、
国家機密トップシークレットの最たる原子力潜水艦をやすやすと渡せば
一歩間違えば亡命、利敵行為、国家に対する反逆等と見なされ
自身の失脚はおろか家族の流刑の可能性すらある中で、
祖国愛と部下の命の狭間で揺れ動く艦長の苦悩と決断が重く、そして痛々しかった。
事故から二十年後、艦と仲間を救うために放射能を浴びて死んだ兵員の墓地で
クルーが再会し、元艦長が、死んだ兵員の英雄申請が却下されたことを話し
「だったら、そんなモノはいらない。彼らは立派に義務を果たした。」
と語る場面があるのだが、共産主義であれ、自由主義であれ、国家に対して
自らの命を賭けて義務を果たすことは、尊いことであり、
それを貶める者は、人間としての大事な何かが欠落していると私は思う。


もっとも、そうした英雄的な行為ができるのも、国家云々より
信頼できる仲間や上官がいれば、という条件がつくが・・・
http://news.goo.ne.jp/news/yomiuri/kokusai/20050522/20050521i315-yol.html


国を守るために自衛隊を必要とする世論が
八三%を占めるにいたったという報道があった。
「国を守るために自衛隊を必要と思いますか」
という設問ほど陥穽に満ちたものはないと痛感する。
自衛隊で国を守るということは、自衛隊だけが国を守るのではなく、
自衛隊(武力)で闘うための体制というものが背後になければならないのである。


その体制とは何か。
それが即ち戒厳令であり、徴兵制、徴用令であり、治安維持法、秘密保護法であり、
国家総動員体制なのである。
したがって「国を守るために自衛隊を必要と考えますか」という問いと、
「国を守るために徴兵制や戒厳令を必要と思いますか」
という問いは同じであることを知らねばならない。


http://www.shugiin.go.jp/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/a151012.htm


http://news.goo.ne.jp/news/kyodo/kokusai/20050511/20050511a3660.html
最近、徴兵制云々と姦しいのでググってみたら、民主党議員の方の質問書に遭遇。
韓国人云々と批判されてる方もおられると思うが、この件に関しては
こんな議員の方がいるので、あまり日本人も褒められたものじゃないような気がする。
ちなみに、この質問をされた方のご尊父は、海軍のパイロットの方だったらしい

それは今まさに戦争の足音が迫っているからでございます・・・(中略)


また今年の2月27日には国民保護計画のモデル素案が明らかにされたではありませんか。
これはまさに、かつての国家総動員法の前触れではありませんか。
徴兵制、徴用令は目前です。なぜ野党は国民にそのことを訴えないのでしょうか。
フランス作家バルビュスはこういっているではありませんか。
『戦争は、戦場に出ない者によって決定される限り、何度でも起きるのだ』と。
 戦争を知らない総理大臣、外務大臣防衛庁長官、日本はこれからどうなるんでしょうか。
バッジ族の皆さん、どうぞ平和だけは死守して下さい。
憲法前文と第九条だけは何としても守り抜いて下さい。これが私のまさに遺言でございます。


太平洋戦争が終って六十年目に思う

戦争を知らない世代が云うのもなんだが、
戦争に備えることは必ずしも戦争に直結するわけではない。
寧ろ、戦争に備えないことの方が危うい。
大東亜戦争は知らないが
隣国に対して備えをしていなかったクェートで1990年に何が起きたか知ってる者として
政治家や外務大臣がどうしようもなく低能で無能で、だらしなかったとしても
その時、その立場にいたならば私は私の義務を果たしたい。