それは誰のせいでもなくて

テレビで、1995/1/17の映像を見ていると、
当時感じたあのとてもつらい忘れたくても忘れられない思い出が蘇ってきて、
生きなきゃいけない価値のある人の多くが亡くなったのに、
何故自分は生き残ったのだろうかという気分にもなります。
今でも、あの時と同じくらいとても悲しい気持ちになります。


名塚元哉氏「あんた何様日記」


月曜日のとある新聞で、阪神代震災で被災した建築士の話を読んだ。
今週の月曜日である1月17日は、10年前、阪神大震災が起きた日でもあるが
それと似たような話をNHKの朝の連ドラ「わかば」で放送していた。
震災直後、主人公の父親が自分の設計した家を心配して街に飛び出し
それがために余震に巻き込まれて命を落としたのだが
主人公の祖父と母親が、その行為をとめられなかったことに責任を感じ
自分を責め続けるという話だった。
震災で大勢の人がなくなったことについて
運命だったとか運が悪かったといいたくはないが、
イデオロギーに凝り固まって、救助指示を送らせた一部の行政担当者をのぞき
誰が悪いわけでもない。
当事者でない部外者の立場で「あなたのせいではない。」と言ったところで
最愛の肉親をなくした家族にとって、何の慰めにもならないことは重々承知しているが
それでも彼らの心の重りを軽くできたら、と思う。




中越地震スマトラ沖巨大地震と建てつづけに起きた災害を前に
被災者の援助をわずかばかりしかすることができないわが身の不甲斐なさを恥じつつ
犠牲者の冥福と、そして罹災された方に時間が優しく降り注ぐことを願う。