北ニケンクワヤショウガアレバ


フットボールの熱源」(日本経済新聞 2017年3月15日)

東日本大震災の被災者には「そっとしておいてほしい」という思いもある。それがわかっているから、J3福島のスタッフは営業中やホームタウンの活動の中で「震災に触れていいのだろうか」と悩み、鈴木勇人代表に意見を求めたものもいる。


今年は震災から6年の追悼の日とJ3の開幕の華やかな日が重なった。そこて迷いが生じた。「震災に触れるとしたら、どう切り出し、どんな言葉を使えばいいのか」「県外出身の自分に震災を語る資格はあるのか」


鈴木代表は明確に答えた。「前を向いていきましょうと発信するのが、このクラブの役割だと思う」。自身、3月11日に公式サイトで決意を表明している。「私たちでにできること」として「全力で闘う」「決してあきらめない」「信じ合う」「支え合う」「一つになる」と列記した。


開幕戦を前に、田坂和昭監督は鈴木代表にクラブの歴史を選手に語ってほしいと依頼した。2011年に新会社を設立した1ヶ月後に震災が襲った。選手の退団、スポンサーの撤退が相次ぎ、クラブは存続の危機に陥った。そんな中、選手たちが避難所の子どもたちとボールを蹴り始めた。子どもたちに笑顔が戻り、親の感謝が激励に変わり、クラブは東北社会人リーグの戦いを始めた。震災後、クラブの存在意義が明確になった。


3月11日、開幕戦で勝利を収めた田坂監督は、むせび泣き、言葉をしぼり出した。「私は(広島出身だが)福島に来たからには福島の人間です。いまだに苦しんでいる方がたくさんいるのも目にしています。我々はひた向きに戦い、福島の人に勇気を与えなくてならない。きょうほど勝たなくてはいけないと思ったことはない」。3月11日が巡ってくるたびに、被災地にあるクラブは原点に戻り、存在意義を確認する。(吉田誠一)

【東日本大震災6年】大川小、児童74人と教職員10人死亡・不明 悲劇は裁判で増幅された - 産経ニュース

大川小の悲劇。
児童74人と教職員10人が死亡・行方不明となった。
教育行政史上、最大の惨事といわれる。
「教員は大津波の襲来を予見しながら、
児童を安全な裏山に避難させず、
避難場所として不適当な河川堤防に引率した」
判決は教員の過失を認めた。
判決を報じるテレビニュースを見て、
教員の遺族の一人は動悸(どうき)を抑えられなかった。


 〈学校・先生を断罪!!〉
勝訴した原告の親の掲げる横断幕が
テレビ画面を通じて目に飛び込む。
めまいがした。吐き気も。
次の日になっても治まらず、医者から薬をもらった。
「先生に殺されたようなものだ」
教員の遺族は痛言を浴び、
肩身の狭い思いをしている。
同僚の遺族は身内に代わって
受け持ちの子の家に焼香に行き、門前払いされた。
肩をすくめ、息を殺して暮らす。
自宅の仏壇に目をやる。
大川小の教壇に立った身内は
黒縁の写真に納まっている。
死者は児童だけではない。
教員の遺族として子供たちの命を
守れなかった責任は感じている。
それでも、あの極限状態で最善を尽くしたと信じたい。
教員は当事者であって当事者でない。
裁判で被告は石巻市宮城県だ。
教員は裁判上「訴外者」にすぎない。
主体的に関与できず、
身内の代弁をしようとしても限りがある。
1審で教員の遺族が法廷の証言台に立つことはなかった。
訴外者は疎外感を味わう。


                ■   ■


裁判に縁のない一般人なら普通「裁判は万能」と思う。
「裁判に持ち込めば全てが解決できる」と。
裁判の当事者になった途端、それが幻想だったことを知る。
原告児童の遺族もそうだった。
親は裁判に事案の全容解明を求めた。
なぜ先生は裏山でなく、川に引率したのか。
どうして校庭に長時間待機させたのか。
最も知りたいことがそれまでの市教委との交渉、
検証委員会の調査で解き明かされなかった。
ストレスがたまる。頼みの綱として法的手段に打って出た。
だが、裁判の争点は津波の襲来を教員が
予見できたかどうかに絞られた。
親の関心の的は置き去りにされ、
判決でも明らかにされなかった。
勝訴してももやもやが晴れない。達成感がない。


「結局、子は帰ってこない」
やるせない思いだけが募った。
車を購入したら「賠償金で買ったんだろ」。
外で酒を飲んだら
「賠償金で飲む一杯はさぞかしうまいだろうな」。
 親もつらい思いをしている。


                ■   ■


 大川小の裁判は関わる人すべてを苦しませている。

数日前、おくればせならが2011年に
台湾で「貴方にとって最も嬉しいニュース」という
アンケートの結果を知った。
トップになったニュースは
東日本大震災への募金額が国別で一位となり
日本から感謝されたことが嬉しかった、というものだった。


J3福島の監督に田坂氏が就いていたのを
日経新聞で知った。
震災時にラグビークラブ・釜石シーウェィブスに
NZやオーストラリアから来ていたアラティニや
ファーディーの言葉、「ここが自分の町だから」が
田坂監督に重なる。


震災にまつわる美談も多くがあるが
それでも悲劇を覆うには至らない。
福島から来た子供たちを菌呼ばわりする陰湿で不快な
出来事も伝えられている。


感謝されて嬉しいと喜ぶ人間と
福島に支えようとする人間、
そして、悲劇を増幅しようとする人間との差は
どこからくるだろう。
傍観者の立場で発言をする資格があるならば
それは、前を向く者、後ろを振り返る者の差、
ではないかと思う。



裁判に至る経過を仄聞*1するかぎり
訴訟は已む得ない部分もあるようだが
先生を断罪する横断幕は同意することはできない。
被害者の正義は絶対であり
その拳を振りかざせば、真実は置き去りにされ
永久に陽の目を見ることはない。


人々を苦しめるのは、偏見、誤解ばかりではない。
固執、頑迷、ステレオタイプの正義が人を傷つける。
凍りついた時間が動きだすことを
願わずにはいられない。