塩野七生「ユリウス・カエサル〜ルビコン以後」

 人間ならば誰にでも全てのものが見えているわけではない。
 多くの人は、自分が見たいと欲する現実しか見ていない。


 ユリウス・カエサル

国禁のルビコン川渡河を犯したユリウス・カエサルは、
ポンペイウスとの死闘を制しローマ帝国を手中に収める。
それは、ローマの共和制統治の終焉と専制統治の始まりを意味した。


カエサルほどの英雄ではないし、色というよりはエロを好むtacaQだが
塩野七生が描いたカエサルの意図はよく理解できる。
共和制という理想より専制統治という現実をカエサルは見たのだ。
共和制や民主制というシステムは、専制統治より誤りを生むことは少ないが緊急時には機能しない。
カエサルは、巨大に膨れ上がったローマ帝国を維持するためには帝国内部の改革が不可欠であり
それを可能とするために迅速かつ強力に執行できる政治体制が必要とされている現実から
思考を出発させ、専制統治という結論に達した。


カエサルによる君主制統治を嫌い、
共和制の維持という回顧主義にも似た幻想を捨てきれなかった人達は
カエサル暗殺を計画し、実行するだが
カエサルとその後継者に敵対する人物は、ことごとく悲劇的な死を迎える。
共和制支持者に担がれ、カエサルと敵対し敗れ殺されたポンペイウス
カエサルから第二相続人に使命されたことを知らず暗殺に荷担したデキムス・ブルータス
暗殺の首謀者カシウス・ロンジヌスと首謀者に担がれたマルクス・ブルータス
カエサルの親友ながらも、共和制の復活を夢見て、暗殺者を保護したキケロ
カエサルなき後、ローマ帝国の王になろうとしたアントニウス
オリエントの覇者を夢見たクレオパトラ
これらの人物はことごとく悲惨な結末を迎えるが
それは、自らの理想に、または野望に溺れ現実が見えなくなった故である。



作者の塩野七生は、カエサルが描いた下絵をアウグスクが描きあげることなになった決着に
「何のためのカエサル暗殺だったのか」とその無駄を嘆くが
そうした無駄な業を行うなのも人間が人間であるが故であり
暗殺から二千年が経過した今でもさほど変わらないように思える。
現実の変化に取り残された人間は、自らの理想、或いはかつての成功した手法に執着し
他人の非をあげつらうことでしか、自己の正当性を主張することしかできない。
「変節する人間が悪く、自分は正しいのにー」と。
それは、ちょうど捨てられた女が捨てた男を一方的に非難する行為に似て
無意味である以上に迷惑である。


と、思いませんか? 野良猫さん