ローマ人の物語21〜23


歴史家タキトゥスが、酷い時代が続いたと嘆いたりしたように
一時的ではあるが皇帝ネロの失脚の後、ローマは混乱を極めた。
正確には元老院階級のみが混乱し、その余波で属州のゲルマン人が反乱を起こすのだが
トライアヌス、ムキアヌスが収拾に乗り出したことにより
その混乱も収束しローマ帝国は安定期に突入した


トライアヌスの直前に皇帝となったのはヴィテリウスだが
その座に就くのを可能としたのは、ゲルマン軍団の支持もさることながら
古代ローマ人が敷設し続けた道路にあった。
塩野七生が"高速道路"と呼んだネットワークがなければ
彼が世界の首都であるローマに、ライン川くんだりから参戦しても
政局に影響を及ぼすような戦いに列なることはできず、玉座に座ることはなかった。


ローマ帝国は、帝政、共和制の政体の別なく支配する土地の道路を整備した。
道自体は、ローマ帝国以外に作ったし、それより以前にもあった。
しかし、それをネットワークとして用いたのはローマ人が世界で初めてである。
そのネットワークは、時としてヴィテリウスのような厄災の為政者をもたらすが
決してそれだけではなく、むしろ有益なことの方が多かった。
トライアヌスの次男であるドミィテアヌスは、皇帝となった後に
ライン河上流にある黒い森シュバルトシュルトに防衛戦を築くが
ゲルマン人の脅威を排除することがてぎたのは
軍団の移動を容易に可能とした道路を敷設したからこそである。



ローマ人にとって道路とは、非常時に軍団が移動の際に活用するためのものだが
戦争がなければ民間人も無料で使用することができた。
結果として経済が飛躍的に向上し、支出が増大しても
税率を上げることなく、国家財政を健全に運営することができた。
ローマ市民は、血税と呼ばれる徴兵義務以外に、1%の売上税と相続税しか納税の義務はなく
ローマ市民でない属州民の成年男子のみに収益の10%の直接税が課せられていた。
たったそれだけで道路の敷設や軍団の維持などの
国家運営に必要な経費を賄っていたというから効率的な政府だったといえるだろう。
塩野七生氏は、古代には官庁街がなく肥大化した官僚機構もなくとも
統治は隅々まで行き渡ることができたローマ人の統治方法を婉曲ながら賞賛している。



様々な税を作ってもなお天文学的な借金までしなければ予算を組めず、
道路を作っても経済を活性化することができず
それでいて自国民の安全すら保障できない現代の日本を
古代ローマ人がみたらどう思うであろうか、
塩野七生氏ではないが長嘆息してしまう。




ローマ人の物語〈21〉危機と克服〈上〉 (新潮文庫)

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