フォルテッシモ

ハウンド・ドックの「フォルテッシモ」とパリダカールラリーのイメージが
結びつく世代はどれくらいまでだろうか。
私が最初に、パリダカールラリーを知ったのは、日清のカップヌードルのCMで、
確か、高校一年の時の冬のことだった。


パリダカールラリーを走るライダーや車の映像に、
ハウンドドックの歌声を被せて
「負けるものか、地獄の二十二日間」というコピーで
かなり出色のCMだった記憶がある。
(BGMに尾崎豊シェリー」バージョンもあったが、知ってる人間は極めて少ないと思う)


以来、私は、まだ見ぬアフリカの大地とそこに命を賭けて走るライダー達に
限りない憧憬を覚えている。
実際にこのパリダカールラリーは、
毎年とはいかないまでにしても少なくない死者がでている。
第8回にあたる86年には、
大会主催者であるサビーヌ自身がヘリコプターが砂嵐に巻き込まれて死亡している。
しかし、それでもこの大会は遺族と彼が愛した友人達の手によって
毎年開催されている。


今朝、新聞を開けたら、パリダカールラリーで
篠塚健次郎が重傷を負ったとの活字が目に飛び込んできた。
詳細は不明だが、命に別状はないとのことでほっと胸をなで下ろすことができた。
前年まで所属した三菱から、年齢を理由に引退を勧められた篠塚は、
まだ十分に現役でドライブできると判断し
日産に移籍した最初の挑戦でのクラッシュであるから
彼自身、胸の中には穏やか成らざるものがあると思う。


「なぜ走るのか。その自問自答こそ、ダカールまでの生きるエッセンスなのだ」とは、
今も語り継がれるティエリーの言葉であり、
このラリーの語り継がれてきた精神でもある。


篠塚が、この自問自答の答えを探し求める日が再びやって来ることを願ってやまない。