羽中田昌

拝啓 ヨハン・クライフ

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19歳の時、交通事故で下半身の自由を失い、今は車椅子の生活を送っています。
一時はサッカーから自分を遠ざけたこともありましたが、
やはりサッカーへの思いは捨てられませんでした。

車椅子に乗ったプロの監督を目指し、いつか日本の子供達に
サッカーの素晴らしさを伝えたいと考えています。・・・・・・・

羽中田 昌

1か月程前、サッカー雑誌で彼の名前を見つけた時、
信じられない思いがするくらいうれしかったが
彼がエッセイ集を出版しているのを今日本屋で知った。


彼は、私が中学の頃、サッカーボールを追いかけていた時
テレビのブラウン管の中で素晴らしいプレーを披露し
保坂選手、大柴選手とともに韮崎高校のH2Oトリオとして
素晴らしい活躍をしていたのだ。

バイクで転倒し以後車椅子生活を余儀なくされていると知ったのは、
事故から大分時間が過ぎてからだったが
二度と彼のプレーを見ることができないと知った時、
何か大事なものを失ったような気持になった。



本によれば、彼は地元の県庁に勤めた後、サッカーへの思い止みがたく
再びサッカーに携わる仕事に就くことを決意し、県庁を退職した。
サッカーの指導者を目指して
日本を遠く離れたスペイン・バルセロナでのサッカーの勉強に励む姿を想像すれば、
夢を叶えるのは条件や環境だけでないことがよく分かる。

言葉の壁、文化の壁、そして私の場合は車椅子の壁。
いくつもの壁を乗り越えて学んだサッカーの経験を大切にしたい。

「みんなの声が聞こえる」というエッセイ集のタイトルは、
多くの人に支えられ、それに感謝する彼の気持ちが込められているのだろう。
だが、彼はそれよりも、もっと多くの物を人に与えていると思う。