全ての人が幸せであるように・・・


昭和初期の人気女優・岡田嘉子は脚本家の杉本良吉と
社会主義国家建設の夢を抱いて、南樺太の国境を越えたのは昭和13年だった。
しかし、寒い国で二人を待っていたのは、甘い理想ではなく、冷たい現実だった。
故郷も友人も捨てて、異国の地で何もか最初から始める生活の過酷さは
平々凡々な時間を過ごしている人間には想像もつかない。
だが、それでもなお、亡命する至った経緯と決意が並大抵のものでないことは
容易に察することができる。
昭和13年以来、社会主義国家と日本の国境線を
どれだけの人間がパスポートを持たずに行き来したことだろうか。



中国にある総領事館にかけこんだ北朝鮮からの亡命者を
中国の武装警察が取り押さえた事件についてウィーン条約違反だということで
大きくクローズアップされている。
国営放送は、首相が靖国神社参拝したことから
中国との関係をさらに「悪化」させないために
抗議しないことだ妥当であるようなことを述べていた。


そうした状況において、関係を悪化せさないために外務省が存在するのであり
関係を悪化させないために、自国の権利を制限し、行使しないのであれば
なんのために外務省が存在するのか。
新華社通信の東京支局と成り果てた国営放送と
外交権を侵害されて、へらへらと笑っている外務省の役人には憤りを覚える。
北朝鮮の人間が亡命しようとしたか、
彼の国でいったい、何が行われているのか
なぜ亡命者が後を絶たないのかを問い糺さない。


もし、あの亡命してきた人間が、日本人妻や拉致された人間だったら
「まあ、いいだろう。」とすませることがてきるのだろうか。
国家は、国民の生命と財産を保証し、幸福な生活を守るために存在する。
国家が、国民を虐げるだけために存在するのならば、
そんな国は滅ぼしてしまえと、思わずにはいられない。