恋歌

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君にこそ恋しきふしは習ひつれ さらば忘るることもをしへよ

比較的裕福な商家に生まれ、縁あって水戸家藩士に嫁ぎ、
時代の荒波に翻弄されながらも、生き延び、
歌人として身を立て、
私塾・萩の舎にて多くの女子を歌を教え、
樋口一葉の師でもあった中島歌子の半生を題材とした
朝井まかての作品

自身、茨城の地で生を受けて半世紀になるが
郷土で興きた水戸学なるものをしらず、
己の蒙を啓こうと藤田東湖について調べていると
幕末における水戸藩の凄惨な歴史にたどりついた。


人々を尊王攘夷へと駆り立てる背景ともなった水戸学
藤田東湖の回天詩史と正気歌は志士ら奮い立たせたにも関わらず
幕末から維新にかけて、志士を多く輩出した雄藩と違い
水戸藩桜田門外の変以降、表舞台に立つ人材が現われることはなかった、

地震藤田東湖という精神的支柱を失った故の不運ゆえかと
ながらく思い込んでいたが、実はそうではなかった。
東湖なきあと、水戸学を奉じて成り上がった天狗党
その天狗党が重用されたことによって
冷遇された諸生党の対立が
あまりにも陰湿で生臭く、その苛烈さゆえに
人材が底をついたというのが理由だったのである。

あまりにも惨たらしい救いのない戦いの渦中にいやおうなく
巻き込まれたのが林家に嫁いだ登世(中島歌子)だった。
御三家の格式を保つため、また光圀が始めた大日本史を編むために
貧しい暮らしを余儀なくされた藩士と領民ー
貧すれば鈍するとはいうものの、
ただ貧しいというだけで、人はここまで荒むものかと
目を覆いたくなる愚行の繰り返し。

無知と貧困がなくならないかぎり
争いがなくなることはないのが人の世なのか、と
呟かずにはいられない苦しい物語である。

ザイム真理教と官僚の蹉跌

長谷川哲也「ナポレオン」
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日本が30年間経済が成長しない理由の一つが
官僚制度にあると最近おもうことが多い。
なぜなら、官僚は失敗を認めないからである

官僚は失敗を嫌がるのは、
失敗が自身の出世を阻む忌むべきもであり
それが故に官僚は失敗しない道を進むか
失敗しても、成果が出るまで時間がかかかるとか
作文して言い繕うことを常としている。

だから、失敗しても誰も責任を取らないし
失敗の教訓が生かされることがないから
日本自体が進歩も成長もしないのである。

頭のいいの人間が往々にしてハマる袋の小路に
日本全体が追い詰められている

原発の後始末に、マイナンバーにコロナ対策……
国民全員を動かす施策が、トラブルなしで
最初からうまくまわる筈もないのに
鬼の首をとったように言い立てる野党やマスコミの
狭量で見識を欠く主張が、
官僚に失敗を認めさせない心理的な圧力と
なっている側面もあるだろうが
それを差し引いても硬直した組織というのは
タチが悪いと思う。

財務省に限定していえば、
プライマリー・バランスにこだわるあまり
政権を揺さぶり、増税を認めさせ
日本の経済成長をつぶしているー
多少、単純すぎるきらいはあるが
財務省増税を推し進めているのは事実であるし
多少の誤解はあるかもしれないが
大学で法学を学んだ連中が
幅を利かせる今の財務省をそのままにして
国の財政を委ねている限り、日本に明るい未来はこない、
と個人的には思う。

3月のライオン17

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約2年ぶりに出た単行本

17巻のあらすじは
主人公・桐山零とそのライバル二階堂晴信が獅子王戦で対決
桐山のジャックラッセルを思わせる指しっぷりに
二階堂は重厚な駒運びで対抗する
激闘の末に軍配は桐山に上がり、
二階堂は体調を崩し、入院を余儀なくされるー

物語のメインは、当然のことながら
火花を散らすような盤面の戦いなのだが
一番心にしみたのは、
対戦後に見舞ったニ階堂の兄弟子・島田開と
師匠・古泉の回想の場面だった。

奨励会に入会した頃と思われる時期、
体が弱いことを心配して、心労の多い棋士となることを
気遣う島田開に対して
「あの子はとっくに選んどるのに?
 あの子の心は火の玉だ、戦いたいと訴えている
 なのに、座して死を待て、と
 その方がよっぽど酷だよ、開」
と二階堂の人生の選択を肯定する古泉の言葉に
涙腺が崩壊しかかった。

思うに
道を進み、何者かになろうとする者は
おうおうにして何かを手放す。
人の能力と時間には限りがあり
すべてのことを満たすことが難しい以上
それは已むえない選択なのかもしれない。
しかし、何かを手放したとしても
目的の地にたどり着ける保証はない

はたから見れば、賢い選択とはいいがたいが
賢しく生きることだけが
人生の目的なのかー?
大事のなのは納得のいく人生か、否か、ではないか?

10年以上続く連載だが、物語の佳境も近いような気がする。
それにしても、交差する棋士たちの人生のなんと重いことよ。

メダリスト

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その昔、作家なかにし礼の「てるてる家族」にて
子女にフィギュアスケートを学ばせることの
何たるかを垣間見て以来
フィギュアスケートというものが
選ばれた人間たちのスポーツであると認識していた。


だから、"遅れてきた"少女が1~2年でジュニア世代の手前であっても
トップを目指すということが難事であるかは
容易に想像ができるし、フィクションといえども
そんな筋書きはリアリティに欠けるーそう思うのだが
そんな荒唐無稽の物語に引き込まれ、激しく感情移入してしまう。

断固たる意志を力に変えて
不可能と思われた未来を切り開く
使い古されたスポ根漫画の正道であるが
正道であるがゆえにまばゆくうつる。

南アフリカ



4月に放映されたBSドキュメンタリー、
2019年日本開催の大会で
優勝を遂げた南アフリカ
かつてアバルトヘイト(人種隔離政策)を施行していたが故に
スポーツの国際試合から長らく締め出されてい時期があった。

1995年、人種政策を撤廃したことで
南アフリカは自国でラグビーワールドカップ開催を認められるものの
同国ではラグビーは白人のスポーツとして認知されていた。
代表に黒人選手は一人だけしか選ばれていなかったことを考えれば当然のことで
黒人は冷ややかな目で、大会を眺め
国として盛り上がりに欠いたまま大会を迎えた。


黒人と白人の対立が色濃く残る南アフリカ
ワールドカップを国を一つにする機会ととらえたネルソン・マンデラ大統領は
直接チームを訪れて激励するなど、陰ひなたに応援を続ける。
大会前下馬評は高くなかった南アフリカ代表だが
粘り強く戦い幸運を味方につけ、勝利をもぎ取り、決勝へと駒を進める。
思いもよらなかったラグビーチームの奮闘に
今まで冷ややかな目で眺めていた黒人たちも心開き
国民が一丸となって決勝戦を迎えるー

出来過ぎた話に
本当にそんな話があるのかと疑いたくもなるが
紛れもない実話である。
不可能と思えることでも
可能と信じて流す熱量が奇跡を起こすー
そう形容するほかない奇跡の大会だったことを今さらながら知った。

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嫌われた監督

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2004年から中日ドラゴンズの2塁を守っていた荒木雅博
2010年シーズン前に監督の落合から遊撃手へのコンバートを指示される。
彼と井端の二遊間は6年連続ゴールデンクラブに選ばれ
落合野球の基盤でもあったが
落合はその土台を敢えて崩すことを決める。


肩に不安を抱えていた荒木は、無理な送球を試みた結果
エラーを重ね、失策は前年の倍近い20を数えた。
近代野球において極めて重要とされるセンターライン
(捕手、投手、二遊間、中堅手)の弱体化は
チームの弱点にこそなっても長所にはなりえない筈なのだが
チームは4年ぶりの優勝を遂げている。

マイケル・ルイスの「マネーボール」において
野球のスコアの記録方法は
選手の能力を正当に評価するものではないとの記述があり
エラーの数は必ずしも守備の実力を表していないとのことだが
落合は、2010年の時点で守備を評価する独自のモノサシを
持っていたことを匂わせている。


球界の常識や経験則が幅を利かし、それが当然とされる野球界において
その常識にそぐわない方法を実践し
理由を詳らかに語らない彼のやり方は
監督になっても変わらずなかった。
明確な意図を示すこともないまま
選手に考えさせることで方針を選手に浸透させていくことに
彼の狙いがあったわけであるが
日本の球界において、その姿勢は異端としかいいようがない。

ファンやマスコミ受けする発言が少なく
観客動員に結びつかないことから
球団の首脳陣と必ずしも円満とはならなかったが
グラウンドの勝利に徹した勝負師だったといえるだろう。